8月28日の夜、ウクライナは南部へルソン州の奪還作戦を進めると正式に宣言した。へルソンはこの戦争において重要な拠点であることは間違いない。では、なぜそうなのだろうか。それはまず、地図を見ればわかる。100万人をこえる都市であるへルソン市を中心とするこの地域は、クリミア半島とウクライナ内部をつなぐ地域であるだけでなく、黒海の軍港かつ貿易港であるオデーサとの中継地点ともなっている。
英経済誌ジ・エコノミストはすでに7月から、ウクライナのへルソン奪回作戦について報じてきたが、8月30日号に「なぜへルソンが重要なのか?」を掲載して、いまや最重要地域となったこの都市と地域について再考している。戦争が始まる前には、人口から見れば100万人ほどと、それほど巨大な都市とはいえないが、豊かな平原にある農産物の集散地で、トマト、スイカ、ヒマワリ、大豆などを産出してきた。
ところが、ロシアのウクライナ侵攻が始まり、首都のキーウが陥落を回避したことで、二次的な要衝だったヘルソンは、最重要拠点として注目されることになる。攻防戦の後、3月にロシア軍の手に落ちることになるが、このときウクライナ政府は、ヘルソン配備の部隊に、ロシア側に通じる裏切り者がでたのではないかと、真剣に疑ったほどだったという。
いまやヘルソン市を流れるドニプロ川の西岸とその周辺には、ウクライナの情報によれば2万から2万5000人のロシア軍の最強部隊が配備され、これに対してウクライナ軍はアメリカに供与されたロケット砲「ハイマース」で、ロシア軍の占領部隊を分断するべく、いくつかの橋を破壊したことは、すでに世界中に知られている。こうすることによって、ロシア軍の兵站を寸断したわけである。
戦場が東部と南部に移ってからは、ロシア軍はヘルソンをオデーサ港攻略のためのジャンピングボードにしようとしてきた。いまのところまだミコライフ付近までしか進行できていないが、ウクライナ南部と同様、オデーサはぜひとも攻略しなくてはならない要衝である。逆に、ウクライナ軍にとっては、ロシア軍をヘルソンから撤退させることができれば、オデーサへの進軍を食い止めるだけでなく、その北に位置するゼレンスキー大統領の故郷クルィヴィーイ・リーフを確保することができるのだ。
もちろん、この地域の争奪戦には、もう2つほどの大きな意味がある。まず、すでに述べてようにオデーサ支配の先にあることだが、黒海ににらみを効かせるのがどちらかという問題はかなり決定的なファクターになってくる。また、いまIAEAの調査団が出かけているザポリージアの原発にも近い位置にあり、これからずっと、この原発をどちらがコントロールするかは、電力だけでなく原子力の支配の点からも大きな問題になるだろう。
「かいつまんでいえば、今回のウクライナの反撃は、その成否によって、南部ウクライナの地政学的位置づけを変えてしまうことになる。その結果しだいでは、政治的な成り行きも大きく変わる。たとえば、ロシアはすでにこの地域を占領するや、ロシアの教育制度を勝手に持ち込んでしまっている。もちろん、ウクライナはそんなことを許せるはずもなく、何とかやめさせたい。そして、ウクライナは、いま武器を供与してくれている欧米に対して、自国はロシアを撃退できるところを見せる必要もあるのだ」
つまり、ヘルソンの戦いは両国にとって、経済的な要素、象徴的な要素、戦略的な要素がぎっしりと詰まっている。いずれにとっても負けられないものになっているわけである。欧米が注目しているのは、この戦いがどちらに有利に展開するかだが、それともうひとつ、どれくらいの長期になるかである。すでに、ジ・エコノミストは何度か記事を掲載し指摘しているが、このヘルソンにおけるウクライナの反撃は、たとえアメリカがさらに多くの武器を送り込んだとしても、すぐに決着するようなものではなくなっている。
英国BBC電子版8月31日付は「ヘルソン:ロシアが占拠している地域奪還は『きつい戦い』になるだろう」を掲載して、何人かの専門家にインタビューしているが、すでに「ウクライナ政府の高官も、速やかな勝利を期待しないで欲しいと述べている。今回の反撃については、敵をゆっくりと抑え込む作戦なのだと説明している」。英国情報部元長官アレックス・ヤンガーは「ロシアの軍事力が弱まる一方で、ウクライナは西側の供与で軍事力を強化している」ことは確かだが、「ヘルソンの反撃は、ウクライナがちゃんと戦えることを証明し、困難な冬を迎える決意を示しているもの」なのだという。
google mapより:ドニプロ川西岸のヘルソン
また、英国防衛安全保障研究所のジャスティン・ブロンクは「ウクライナは広範な戦線でロシアを押し返し、相手の士気を低下させる消耗戦をやる気だ」と指摘している。ウクライナの軍事専門家ミハイロ・ジロコフは「ウクライナ軍は市街戦を望んでいない。それは多くの犠牲者を出したくないからで、じわじわ敵を締め出す作戦だが、それは簡単には達成できない」と述べて長期戦を示唆している。
大河の西岸での戦いといえば、第二次世界大戦でのスターリングラード戦を思い浮かべる人もいるかもしれない。これはきわめて凄惨な戦いだった。なかにはソ連側の忍耐と発想の転換でドイツ軍を破ったように書いてある「戦略読本」もあるが、戦略という観点からいえば「ヒトラーが無理やり二面作戦を採用し、ヴォルガ川の湿地帯にドイツ軍を突入させたときにすでに敗北していた。湿地帯を進軍するにはすべての車両にキャタピラが必要だったが、当時のドイツにはその工業力はなかった」と見る戦略家リデルハートの説が正しい。
militaryhistorynow.comより:ヴォルガ川西岸のスターリングラード
ソ連軍は兵站の問題を解決しないで侵攻してきたドイツ軍を、スターリングラードに釘付けにする間に、背後に回って包囲して勝利をえた。このとき、川の西岸のスターリングラード市街地に、訓練のできていない若い兵士たちを、川の対岸から毎夜大量にに送り込み、彼らがドイツ兵と市街戦で殺戮し合う消耗戦をあえて断行した。同時に、兵站が途切れスターリングラードから動けなくなったドイツ軍の背後に大きく回り込み、東欧の衛星国の軍隊を先に押し立てて、ドイツ軍が逃亡できないようにして、最終的には壊滅させた。
第二次世界大戦史を欠いたA・J・P・テイラーは「あの戦いは戦略的というよりシンボリックな意味の大きい戦いだった」と述べている。今度のヘルソンの戦いがスターリングラードのような戦いになると言っているのではない。どこかで酷い間違いの雪崩が起こって、スターリングラードのような、「象徴的」だが「消耗的」で「凄惨な」戦いにならないで欲しいと願っているのである。