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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナに武器さえ渡せば勝利するのか;ホーキッシュ・リベラルの極端で楽観的な論理

アメリカでは共和党の分裂に見られるように、ウクライナへの支援をこれ以上続けるべきか否かの議論が高まっている。その一方では、ウクライナが欲しいだけの武器をあたえるべきだという極論も出てきた。例によって理念的なリベラル派からのものだが、ホーキッシュ(タカ派)リベラルと呼ばれる論者からのもので、いまのバイデン政権によるウクライナ介入のひとつの思想的背景といってよい。


英経済紙ウォールストリート・ジャーナルは、いわゆる保守系と分類される新聞ということもあって、今回のマッカーシー前下院議長を解任に追い込んだ騒動や、本命とされるトランプが欠席した共和党の大統領候補たちによる議論について、かなり熱心に報道している。10月1日に掲載された記事「ウクライナ支援についての抗争は、同盟国の不安を招く」などは、そのひとつと言ってよい。

この記事では「下院で行われた超党派的なウクライナへの資金援助についての投票では、幅広い支持が得られており、3億ドルの追加拠出措置にも433人のうち311人が賛成だった。しかし、反対する共和党員は増えており、下院共和党の半数以上が反対している」と書いているように、共和党の分裂が大きくなっていることを伝えている。

マッカーシー前下院議長


こうしたなかで、突然、フレデリック・ケーガンの「ウクライナは武器を必要としている、あれこれの議論が欲しいのではない」との論文が寄稿されたので驚いたアメリカ人もいたかもしれない。ケーガンはアメリカン・エンタープライズ研究所員だが、「ホーキッシュ・リベラル(タカ派民主党員)」に分類される論者で、煮え切らない共和党系政治家にカツを入れるといった役割を担っての登場と思われる。

日本ではイラク戦争が始まったころ、兄のロバート・ケーガンによる『ネオコンの論理』という本が刊行されたが、「彼はネオコンではないはずだが」と首を傾げたアメリカ通もいた。ネオコンとはネオ・コンサーバティズムの略で、政治的分類からいえば共和党寄りということになる。いちおうリベラルなケーガンがネオコンというのはおかしいわけである。しかし、たぶん、「売らんかなの論理」で、民主党系でも共和党大統領ブッシュ(息子)が始めたイラク戦争に賛成しているから、ネオコンということにしようということになったのだろう。

さて、弟のフレデリック・ケーガンほうも民主党の大統領バイデンがウクライナを支援したとき、諸手をあげて賛成したことは想像に難くない。民主的なウクライナに独裁的なロシアが攻め込んだのを撃退するのに、何の疑問があるだろうか。民主党系の外交誌フォーリンアフェアーズはもとより、あちこちの媒体でウクライナ戦争の解釈を述べ、支援することを訴えたが、このたび、共和党内部の抗争を見るに見かね、ウクライナへの支援を改めて訴えるため、共和党系新聞への投稿を引き受けたということだろう。

 

ジ・エコノミストより:共和党にはウクライナ支援懐疑派が増えている



その議論というのはこれまでと変わらない。いや、その単純化においてますますホーキッシュ・リベラルそのものになったと言ったほうがいいかもしれない。「アメリカがずるずると現状を変えないなら、ウクライナはロシアの要衝を攻撃できず、防衛線も突破できない。戦争は継続されて、アメリカは非難されることになるだろう。もし、アメリカがこのままか、支援を削減するようなことがあれば、ロシアは勝利してしまい、ウクライナだけでなくアメリカの安全保障も危うくなる」。だから、「ウクライナが望むだけの武器をアメリカは供与せよ」というわけである。

実にシンプルで分かりやすいといえば分かりやすいが、それを何度も繰り返されると、この人、本当にものを考えて論じているのかな、との疑問が生まれてしまう。しかし、ケーガンにとってはそれこそ、ロシアが付け込むスキを与えているのである。「F16を送ったことは確かだが、ロシアの防衛線を突破するにはまだまだ足りない。西側はウクライナに地雷除去装置や探索機器を送ったが、それはロシアの厚く深い地雷原には十分ではない」という調子で、ウクライナが必要とするものは、武器保有量が少ないヨーロッパ諸国ではなく、アメリカが送るしかないというわけである。


そのさい、先日の共和党大統領候補者たちが議論した、M1戦車はウクライナの戦場に適合的かとか、F16ではなくてF15の方がいいとかいうような、こまかいあれやこれやの議論など必要はないと、ケーガンは切って捨てている。しかし、彼はまったく触れていないが、たとえば戦車やジェット戦闘機を送っても、その搭乗員やパイロットを時間をかけて大量に訓練しなければ、何の役にも立たないが、それをどうするかは述べていない。それでも武器が大量ならいいというのだろうか。

ケーガンの父親は軍事史の大家で、兄は前出のように『ネオコンの論理』で知られる外交評論家。彼自身はウエストポイントを卒業した元エリート軍人でいまは軍事研究家である。いわばアメリカにおける戦略論の超エリート一家の生まれといってよい。とはいえ、兄のロバート・ケイガンが、イラク戦争のさいに書いた論文をいくつか集めて、日本では『ネオコンの論理』として読まれたが、いまだに首を傾げることばかりだった。

そもそもの基本からおかしいのである。ロバート・ケーガンはヨーロッパはイマニエル・カントの思想にもとづいて戦争によらない交渉によって平和を実現ようとするが、われらアメリカ人はトマス・ホッブズの思想にもとづいて、敵を撃破して平和を実現しようとするのだと述べていた。これは思想の捉え方としては、はなはだ単純で、事実の把握としても間違っている。ヨーロッパ諸国がすべてカントであるわけもなく、アメリカの思想的源流はむしろロックではないのだろうか?


さらに、カントはキリスト教国で共和制なら、自国より攻め込むようなことはしないと論じていたが、これはまったく間違いだったことが歴史的に証明されている。アメリカのようにキリスト教国であり共和制でも、ちゃんと先制攻撃し予防戦争もしてきたのである。また、ホッブスは人間行動の本質を恐怖にあるとみて、「万人による万人の闘い」と世界を捉えたが、だからこそ「契約」によって平和を実現するのだと述べていたのである。

もちろん弟のフレデリック・ケーガンとすべて考えが同じではないだろうが、アメリカが戦争に介入するや脚光をあびて「まず戦え」と煽り始める点は同じだ。しかし、すでに述べたように、兄と同様、思想的な認識と歴史的把握において間違っており、出てくる処方箋は勇ましく単純で分かりやすいが、戦争をしてその後どうするかについてはほとんど触れていない。

戦争には目的があって、その目的が達成されるなら、必ずしも戦争でなくてもよいというのが、孫子以来の戦略論の要諦であることを考えると、ほとんど素人に近いのではないかと思ってしまう。そもそも、ネオコンやホーキッシュリベラルが煽ったイラク戦争は、実は侵攻する根拠が(核兵器がなかったので)不在であり、しかも、結果として中東の政治的安定をむしろ悪化させてしまった。

ネオコンが注目されているとき、台湾でシンポジウムが開かれて、ネオコン・グループが台湾の積極的な戦争準備を唱えたので、ある専門家がいろいろ質問すると、中国や台湾についての知識があまりないことが分かったという。この専門家はネオコンの議論は切れ味がいいといわれるが、「ネオコンの強みは、実は、知らないことなのではないか」と皮肉っていた。

戦争を考えるさいには、どのように終えるかこそが最大のテーマである。しかし、そのことを論じないで、ひたすらシンプルに「欲しいだけの武器をくれてやれ」と述べるケーガンは、おそらくウクライナのさまざまな複雑な事情や状況について「知らない」か「知らないふり」をしているのではないだろうか。