7月31日、加藤勝信厚生労働相は、米製薬会社ファイザーが開発中のコロナ・ワクチンが成功した場合、来年6月末までに6000万人分を、日本に供給してもらえるようになったと発表した。以前、安倍首相が答弁したさいには、英国のアストラゼネカ社と米国のモデルナ社の名前が挙がっていたので、日本に関しては急にファイザー社が逆転先行した印象を与える。
「同社は20年中に世界全体で最大1億回分、21年末までに約13億回分を供給する計画を発表している。米政府とは1億回分を19億5000万ドル(約2040憶円)で供給することで合意しており、米国向けでは1人当たり(2回接種)4000円程度の価格設定となっている」(毎日新聞電子版 7月31日付)
ファイザー社の発表では、2020年内には供給が始まることになっているのに、日本政府の発表では2021年になってからとされている。この点、どうなっているのだろうか。日本の報道機関向けに配布された同社の「ファイザーとBioNTech、1億2000万回のBNT162mRNAワクチン候補を日本に提供」とのプレスリリースを見てみよう。
「治験が成功し、規制当局の承認が得られた場合、1億2000万回分のワクチンを2021年より供給を開始する合意に至ったことを発表しました。合意の詳細は非公開ですが、合意は供給量と時期に基づくもので、日本政府の要請により、2021年上半期にワクチン候補を提供する計画です」
この「合意の詳細」をぜひ知りたいものだが、その一方で、このプレスリリースは、ファイザーとBioNTechの両社が、開発後期段階の試験に入りつつあるとして次のように述べている。「本試験はSARS-CoV-2の感染率が有意に高いと予想される地域を含む世界約120施設で実施予定です。両社は治験の成功を前提として、早ければ2020年10月に規制当局にBNT162b2の承認申請を行う予定であり、許可または承認が得られた場合、2020年末までに最大1億回分、2021年末までに約13億回分を世界に供給することを目指しています」。
つまり、日本への供給はよくて「2番手」に位置付けられており、実験が成功してすぐに供給されるのは、すでに開発前期試験を行っていたアメリカやドイツであることが推測できる。それはそうだろう。ちなみに、SARS-CoV-2というのは新型コロナウイルスの正式名称。また、BNT162b2というのは実験段階にあるワクチンのコード名と思われる。
いずれにせよ、日本国内でファイザー社のワクチン接種が行われるのは来年ということで、今年の秋以降に来襲すると思われる第2波(呼び方によっては第3波)には、ファイザー社のワクチンは間に合わないと思っておけということだ。これもまた当然のことながら、開発への貢献や出資の金額、あるいは政治的な判断で、供給の量や時期は変わってくるということである。日本人は、ワクチン供給のニュースに対して、ぬか喜びは禁物だ。
米外交誌『フォーリン・アフェアーズ』電子版7月27日号に、外交協議会のトマス・ボルキイとピーターソン国際経済研究所のチャド・ボウンが「ワクチン・ナショナリズムの悲劇 協力だけがパンデミックを終わりにできる」を寄稿している。彼らが言いたいことは、すぐに推測できるように、世界にコロナワクチンが供給されるには、世界のワクチン供給協力体制が必要だということである。
そんなことは無理だと思う人は多いだろう。わたしもかなり困難だと思う。実は、著者2人も、ワクチンを世界の公共財にすることは、リアリティを欠いていると認めている。しかし、もう少し彼らの話に耳を傾けてみよう。この論文のなかには、2つの「比喩」が登場する。ひとつは、いまのパンデミック下の世界は、緊急事態に遭遇した旅客機の中のようなもので、すぐに酸素マスクが下がってくるから、マスクをかけた乗客は早急に他の乗客の支援をすべきだという、ある人物の提言である。
もうひとつの、彼ら自身が持ち出してくる「比喩」は、いまのパンデミック下の世界は、コロナワクチンに関するかぎり、ほとんど「囚人のジレンマ」の中にあるというものである。彼らによれば、緊急事態に瀕した旅客機のなかでは、ビジネスクラスだろうが一般席だろうが、ともかく酸素マスクはすぐに下りてくる。しかし、いまのパンデミック下の世界では、コロナワクチンが出来てもすべての国に配られない。しかもコロナワクチンを開発した国は、その供給において深刻なジレンマを抱えるというのである。
この「囚人のジレンマ」については、ご存じの方も多いかもしれないが、いちおう、ばっさりと単純化して説明しておく。二人の泥棒が共犯で捕まったが、その犯行については検察側に確定的な証拠がなく微妙な状況が生まれたと設定する。たとえば、2人とも自白してしまえば、2人とも10年の懲役をくらう。1人が司法取引に応じてしゃべってしまうと、本人は2年の懲役ですむが相棒は12年の懲役を食らう。がんばって2人とも黙秘すれば、明確になった罪だけで裁かれて2人とも5年の懲役ですんでしまう、というわけだ。
この比喩も、あまりうまくパンデミック下の状況を表していない気もするが、ともかく、2人の著者が言いたいことは、自国だけに有利な戦略を採用するのは、結局は自国にとっても損な選択になってしまうということだ。たとえば。ワクチンを供給するのを自国にとって高収益になる国だけに売るという戦略や、あるいは、政治的に自国と同盟関係にある国だけに絞るという戦略は、結局、破綻してしまう。というのも、ワクチンを供給できていない国々というのは、実は、世界に張り巡らしたサプライチェーンの拠点であり、また、製造した商品の販売先でもあるというわけである。
それならば、ワクチンを先行して成功させた国は、経済的な利益や政治的な優位はある程度はあきらめてしまったほうが、長期的に見た場合には、自国にとっての利益や優位が維持できることになるではないかというわけだ。ちょっと無理に「囚人のジレンマ」で言うと、2人とも5年の懲役を受け入れれば、合計20年とか14年とかの懲役に陥らずに、合計10年ですむというわけである。
「長期的に見れば、わたしたちは皆死んでしまう」といったのはケインズだったが、これは、経済政策は短期でも効果がなければならないと主張しているだけでなく、ある種のニヒリズムをも表明している。長期的な判断をすべきだと分かっていても、人間の性格上、どうしても当面のことばかりが要求されてしまう。その結果、自分自身の損失も多くなってしまうことは多い。その性格を人間が克服できるとするなら、彼らの論文は有効だろう。
実は、この論文の興味深いところは、こうした全体の構成から生まれる提言よりは、議論の前提となっている、コロナをめぐる集団免疫形成とコロナ・ワクチンとの関係について述べた部分である。現在の時点での新型コロナ・ウイルスに関する知見では、はたして、コロナ対策は集団免疫の形成を前提とすることが可能なのかどうか、実は、まだ明確ではないのだ(少なくとも、この論文が書かれた時点では)。
ワクチンが有効だと言う場合、ワクチンを一定割合以上の人に接種することによって、人工的に「集団免疫の壁」をつくって、ウイルス感染の拡大を阻止できることを意味する。この集団免疫の壁を前提としている実際のケースが、インフルエンザへの対処法なのだが、周知のように、インフルエンザ・ウイルスの型によっては、それが難しい場合がある。また、ワクチンを接種しても、できた抗体が長期的には維持されない。
では、今回の新型コロナウイルスの場合にはどうなのか。この論文の著者たちは、どう考えているのか。実は、彼らは集団免疫の壁について、それほど明確な確信をもって論じているのではないのである。「コロナ・ウイルスに関しては、集団免疫が形成されるかどうかは、まだ、明確ではない。今のコロナ・ワクチンはインフルエンザを抑制するワクチンのようなものになってしまうのかもしれない」。だからこそ、功利主義的な国際協力が必要なのだということになるわけである。
少し前に、英国のオクスフォード大学とアストラゼネカ社が治験を進めているワクチンが注目されたのは、こうした不安を払拭する可能性があったからだ。つまり、彼らのワクチンが、抗体をつくりだしてコロナウイルスの感染を阻止するのではなくて、T細胞という特別の細胞がコロナウイルスに感染した細胞を殺してしまう力を持つようになり、しかも、T細胞がコロナウイルスを記憶するということが、明らかになったというニュースだったからである。
このT細胞については、スウェーデンの試みが、はたしてこのまま第2波を阻止するか否かという点にも大きくかかわっている。また、国際協力体制については、アメリカと中国の戦略の違いも、もう少し説明しておきたいところだが、今回はこのくらいにしておこう。ともかく、コロナワクチンの開発をめぐっては、経済的、政治的、そしてもちろん、疫学的な分野そのものにおいても、まだまだ課題が多いことは確かなのである。
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