HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

人の移動は感染を拡大しないだって?;まったく転倒した説が流行る背景

昨年の暮れには、東京都の1日の感染者数が1300人を大きく上回って、もう「緊急事態宣言」は間近なのではないかと思う人も多いだろう。不安がつのるなか、例によってコロナに関する情報が混乱している。たとえば、ワイオミング大学の研究では人間の移動が感染を広げることになるが、ジョン・ホプキンス大学の研究では移動は関係ないというような説である。これは完全に間違っているので、少しだけコメントしたい。

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どうやら、ある週刊誌が、ワイオミング大学の研究によればソーシャル・ディスタンスは感染低下に効果的だと述べたことに対し、ある論者がジョン・ホプキンス大学のほうが正しいと述べて、人の移動は今回の感染拡大に関係ないと論じたのを、さらに誰かが半端に引用したため混乱が生じたらしい。私の知り合いでも、この「逆さま」になった情報を真に受けている者がいるので、「あれ?」と首を傾げた。

 というのも、人の移動とソーシャル・ディスタンスの無視が、感染を拡大すると述べて警告してきたのは、ジョン・ホプキンス大学のほうがよく知られてきたからだ。それなのに、まったく逆の話が勝手に作られてしまっている。この類の勘違いがあまりにバカバカしいものであることは、次に述べるように、ただの素人でも分かるだろう。

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ジョン・ホプキンス大学のリポートより


比較的まとまっていて分かりやすいのは、ジョン・ホプキンス大学のリポート「新型コロナ研究は、厳格なソーシャル・ディスタンスときわめて低い感染機会が、関係あることを示している」で、私の手元にあるのは研究がかなり進んだ、昨年9月11日付のものである。結論的な部分のみを引用してみよう。

 「たとえば、頻繁に公的な交通機関を用いている人は、これまでの記録例よりもコロナ感染率が4倍の数値となっている。そのいっぽうで、厳格なソーシャル・ディスタンスを実践している人は、これまでコロナ検査で陽性になった人たちの割合の10分の1にとどまっている」

 いったい、こうした研究の知見が、どうすれば人の移動は感染に関係ないとか、ソーシャル・ディスタンスは関係ないとかいわれことになるのだろうか。ましてや、移動制限とかソーシャル・ディスタンスはナンセンスで、日本はそんなものを無視してビジネスをやることが、いまの時期を乗り越える方途だという主張に、どうすればつながるのだろうか。もういちど、ジョン・ホプキンス大学のリポートを読んでみよう。

 「結論をいうと、マスクをつけて、ソーシャル・ディスタンスを行い、旅行はなるだけ少なくすることが、新型コロナ・ウイルスの感染を低下させるということになる」

 こうした結論からすれば、少なくとも「いまの感染拡大はGoToトラベルと関係ない」という主張を、ジョン・ホプキンス大学の研究にむすびつけることは、とても正常な研究者のやることではないと思われる。

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東大医科学研究所より


この結論部分に、フェイス・マスクの話も出てきているので、ついでにジョン・ホプキンス大学の研究者たちが、マスクをどのように考えているかについて付け加えておこう。昨年8月24日付の同大学のリポート「マスク・ヒステリー? マスクをかけることはあなたとあなた周辺の人を守る」は同大学公共衛生学教授クリス・ベイラーへの取材に基づいたもので、次のように述べている。

 「ベイラーと彼の共同研究者たちは、現在時点でのデータを分析して、以下のように結論づけている。マスクをつけることは、公的機関が指摘するように他の人を守るだけでなく、着けている人をも守る。『このことは実に重要なメッセージです』とベイラーは語っている」

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東大医科学研究所より


コロナ流行の初めのころ、マスクなど役に立たないという専門家が多かったが、いまではさまざまな研究によって、感染者がかけると他人にうつす確率がかなり下がり、健康な人がつけてもあるていどの防御になるというのが、共通認識になっている。たとえば、東京大学医科学研究所が本物の感染性のあるコロナ・ウイルスで実験したデータによれば、感染者がかけた場合には感染率は20%台から40%台に下がり、防御側のマスクの場合でも、60%台から80%台に下がることが分かっている(上の2つのグラフを参照のこと。いずれもグラフは対数を使っているので、まずは数値でみたほうが分かりやすい)。

 ただし、この東大のレポートでも「マスクのみでは浮遊するSARS-CoV-2(新型コロナ・ウイルスのこと)の吸い込みを完全に防ぐことができない」と付記しているので、「それみたことか、マスクは完全ではないんだ」という人がいるが、かなりの勘違いである。この世に完全などあるわけがなく、感染者とそうでない人がみんなマスクをかければ、かなりの程度まで感染が阻止できるが、完全なものと思うのは間違いであるというのがそのメッセージなのである。

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スウェーデンは集団免疫を目指したが悲惨な結末を迎えた


さて、もうひとつ、冒頭にあげた混乱した情報には、「集団免疫」について言及しているものがあるが、いまだに集団免疫を目指して若者たちが感染するのを放置しようと述べるのは、ほとんど非倫理的といってよい。集団免疫をめざす戦略というのは、若者と中年を感染からの「壁」に使おうという、かなり見当違いな間違った主張であることは、これまでのこのブログで何度も述べてきたとおりである。

それなのに、どういうわけか、ジョン・ホプキンス大学が「集団免疫」を推奨しているかのように思い込んでいる人がいる。この点についても簡単に触れておこう。次は、同大学のネットにある「ニュース・ルーム」に昨年8月25日に掲載された「集団免疫はコロナ対策としては危険な戦略だ」というリポートである。

 「ジョン・ホプキンス大学の医学部教授スチュアート・レイによれば、コロナに感染した人たちが生き延びて、感染しやすい人たちを少なくするという方法は、死者と後遺症者を増やすリスクがある。それを無視して集団免疫戦略に傾斜することは、避けてしかるべきである」

 こうしてみると、ジョン・ホプキンス大学を権威にして、集団免疫戦略が有効だと主張し、人の移動増加がコロナ感染増加に関係ないというのは、かなり特異な(不誠実な)論者ではないかと疑ったほうがいい。さらに、マスクさえかけていれば、どんなに移動して歩いても、また多くの人との接触する状況においても、安全だというような断言は、あまりにも安易な発言だといえる。なぜなら、どのような移動なのか、どのような接触なのか、細かな条件なしでは判断できないからである。

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ビジネスは分野によってコロナ対策が違う


感染防止かビジネス優先かという議論は、日本のいまのような状況(もうすでに拡散してしまっている状態)では程度の問題であり、しかも各論の話である。いかに緊急事態宣言を発したところで、あらゆるビジネスを停止させるわけにはいないし、テレワークすべきだといっても接待業や飲食店がテレワークできるわけがない。そもそも、どちらかを選ぶというアジェンダセッティング(議論設定)が無意味なのだ。

結局、ビジネス分野別の 細かい政策が必要なのだが、いまの政権は「自助」などといっただけで、経済全体のコンセプトになると思い込んでしまい、実は、無意味な超マクロ的な主張をしてきたにすぎない。自助は、状況によって可能でもあれば、可能でないこともある。また、その範囲についても常に状況による。個人の努力目標ではあっても、公共性を中心にすえる国家の経済政策の基準には、もともとなりえないのだ。菅首相が「マスクをしながら食事をしてほしい」といったとき、現政権のコロナ状況への無理解と難関を避けたい無気力が、すでにあらわれていたのである。