HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

議会占拠の人民を米国は裁けるのか;その正当性と民主主義を根本から考える

ドナルド・トランプに扇動された「暴徒」がアメリカ議会を、一時的にせよ占拠する事態となって、アメリカのジャーナリズムは「民主主義の危機」とか「民主主義は復活できるか」といった見出しを掲げて、アメリカ政治の未来を憂慮している。日本の報道もそれに便乗して「民主主義が試されている」などと報じている。しかし、そもそも「民主主義」という言葉が、何を意味しているのか不明だから、「危機」も「復活」も「試される」も意味が曖昧なままである。

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わたしはここで「民主主義なんかくだらない」と言いたいのではない。民主主義がくだらないとして、では、どんな政治制度ならいいのかという問いに対する答えは、実はけっこう難しいのである。たとえば、チャーチルは「民主主義は最悪の制度だが、これまであった政治制度のなかではもっともまともだ」と逆説的に語ったが、これは当時の英国のように民主主義に軽侮の念を抱きながら、なおかつエリート支配の政治制度を、あたかも民主主義のような外見で運用していた大国の首相がいうから意味があったのである。

 しかも、アメリカの場合には民主主義に込めた意味は、おそらく人類史のなかでも最も過重的価値にまみれている。民主主義つまりデモクラシーは、デモ=民衆によるクラシー=支配と解して、形式的ではあっても成立する国家があるとすれば、世界広しといえどもアメリカだけではないかと思われる。まず、国の成り立ちからして、皇帝をいただいている大英帝国に反逆して独立戦争を起こし、その結果として生まれた民衆国である。

 もちろん、第二次世界大戦後に生まれた国々には、民主主義を最初から標榜する国家が多く存在するが、憲法や基本思想をみていけば、その多くはアメリカ政治制度のコピーであり、しばしば、アメリカ人が人工的に作った日本国憲法にそっくりだったりする。しかし、その実態を見ていけば、アメリカの民主主義とは縁もゆかりもないような政治制度が含まれ、冷戦期の社会主義国から移行した国には、むしろ、独裁国と断じてよいようなところが多く見られるほどである。

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そもそも、民主主義の故郷とされる古代ギリシャの「民主制」からして、奴隷の労働によって有閑生活を得た人間たちの暇潰しによる政治であり、しかも、政治的役職はペリクレスで知られる「将軍職」などをのぞけば、くじ引きで決めていた。貴族と庶民という身分が存在し、政治的地位を得るには貴族出身が有利であり、庶民出身の政治家は庶民を扇動して権力を握ろうとした。それがデマゴーグによるデマゴギーである。

 近代ヨーロッパにおいて古代の民主主義が「復活」したと言われる場合、ジョン・ロックやジャンジャック・ルソーの思想が引き合いに出されるが、前者は国王を前提としていたし、後者は統一性を生み出す「一般意思」を強調したので、後世、ルソーは「全体主義の父」と呼ばれるようになったことは周知のとおりである。

 やや、一般論が長くなったが、アメリカの民主主義に戻ろう。アメリカの民主主義は最初から国王なしで始まったから、平等な人民による政治が実現したかのように言う人がいる。しかし、1830年代にアメリカを訪れたアレクシス・ド・トクヴィルによれば、すでに法律家が貴族のような役割を担い、政治における決定は「多数派の専制」を生み出すようになっていた。にもかかわらず、アメリカ人はあくまでアメリカの民主主義の「例外性」を強調してきた。自分たちは特別だが、これは普遍的だというのだから、矛盾しているのだが。

 とくに、19世紀の半ばにあった内戦=南北戦争が終わったあたりから、アメリカの民主主義は世界で例外的なものであり、汚辱に満ちたヨーロッパの政治制度とは異なると考える思想が、国内に大きな影響を与えるようになった。詩人のホイットマンは「アメリカという言葉と民主主義という言葉は同じものである」と主張した。アメリカというのは民主主義であり、民主主義とはアメリカのことだというわけである。

 ヨーロッパにおいては第一次世界大戦後に社会主義国が生まれ、「人民民主主義」を名乗ったが、平等な人民による政治などは見当たらず、また、第一次世界大戦後には帝政や王政からファシズムやナチズムに移行する国が登場して、支配者と被支配者が一致する民主政治が生まれるなどという説が流布したが、これもただの劣悪な独裁制だった。この時期にも、アメリカは内部に少数の共産主義やナチズムの支持者を生み出しながら、自国独自の例外主義的な民主主義を維持した。これが数十年にわたって、親アメリカ的な人間が、「民主主義」のモデルと崇拝する理由となったことは否定できない。

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英国などでは1940年代まで、露骨にデモクラシーを劣悪な制度だと口にする政治家がいくらでもいたが(チャーチルだけがそう言ったわけではない)、しだいにアメリカの影響を受けて民主主義が肯定的に語られるようになった。1960年代、バーナード・クリックという若い政治学者が、英国の政治は民主主義などではなく「政治(ポリティックス)」という独特のもので、「民主主義は万人の娼婦」とまで言ったことがあった。この品は悪いがある意味マトを射た批判を最後にして、ヨーロッパでもアメリカ型の民主主義が理想であるかのような地位を占めることになるのである。

 民主主義がどれほど問題に満ちた概念であり、いくらでもその内実を変えられる言葉であるかを、さらに展開するのも悪くないが、ここではアメリカと今回の議会占拠という問題だけに絞っていこう。まず、アメリカ民主主義において、人民を煽って政治を変えようとするのは悪いことなのかといえば、まったくそうではない。なぜなら、アメリカはいちおうの秩序を維持していた英国植民地だったときに、突如、自分たちだけによる自治を正しいものとして独立した、反逆者たちの集団だからである。いまでも米マスコミ人などに、ポピュリズムという言葉をポジティブに使う者がいて、驚かされることがある。

 思想史的には前出のジョン・ロックの政治思想を受け継いでおり、もし、政治が人民を裏切っているとみなせば、武装して抵抗してもよいとする「抵抗権」を認めている。それはジェファーソンが起草したアメリカ独立宣言にも盛り込まれて、さらに現行の憲法の解釈にも反映している。「政府がこれらの目的(人権を保証する)に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立……する権利がある」というわけである。

 アメリカの政治思想で「反乱」「反逆」が悪とされるのは、それが人民の意思に反するときであり、ということは、神の元々の意思に反するときに過ぎない(そんなことを、どうやって知るのだろうか)。アメリカの独立というのは、それが神の意思だったから正当化されていたわけだが、いまでも天賦人権を切り札にして、憲法に書いていない権利も主張できると論じる憲法学者がいるほどだ。

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このアメリカの独立あるいはアメリカ革命を、英国の政治家・思想家でありながら支持したのがエドモンド・バークだった。彼はいうまでもなく近代保守思想の源流とされる人物であり、アメリカ革命の正しさは大英帝国が、開拓を続け発展を実現してきたアメリカ植民地の民衆を裏切ったことにあったと論じた。アメリカの植民地は、大英帝国に多くの富をもたらしているのに、なおも過重な税金を課して絞り取ろうする悪政への反逆であり、独立は本来の権利の回復とみなせるからである。有名な1774年の演説は長大なものだが、その数行を引用しておこう。

 「われわれはこの幸福な政策(アメリカ植民地への適度な課税)を取ってきた間は、専制の非能力的暴力がこれまで引き出せたよりも遥かに多くのものを植民地から引き出してきた。過ぐる日の戦争で、われわれは充分にこの実績を挙げた。この事実に疑いを挟んだ者はいない。――そしてもしも諸君が従来彼らの気前のよい醵出の強い潮流になっていた水路をせきとめて、もはや受け入れるだけでは満足ぜずにさらに搾り取ろうとして彼らに介入してその自発的徴募を妨げたりしない限りは、今後も植民地は同様に気前よく政府のために貢献しないだろうと想像するどんな理由があるというのか」(中野好之訳)

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2年後、やはり英国出身のジャーナリストが、アメリカの独立を情熱的な文章で支持した。『コモン・センス』を書いたトマス・ペインである。彼はバークに刺激を受けつつ、アメリカの独立は正当化されると主張した。ところが、ふたりは、フランス革命についてはまったく対立する見解を持ったことはよく知られている。バークは『フランス革命省察』で、この革命騒ぎは単なる暴動であると批判したが、ペインは『人間の権利』を書いて、バークを「反革命」と批判しながらフランス革命を支持した。

 このふたりの主張は「革命」や「暴動」あるいは「権利」といった言葉を考え直すとき、きわめて貴重なものなので細かく検討したいところだが、ここで延々とやっているわけにはいかない。とりあえず、ハンナ・アレントの『革命について』から、図式的ではあるが分かりやすい部分を引いてみよう。

 「忘れてならないことであるが、ペインが『反革命』という用語を用いたのは、バークが古くからある習慣と歴史によって守られてきたイングランド人の権利を力強く擁護し、人間の権利という新しく流行しはじめた観念に反対したとき、それにたいする返答としてであった。しかし問題はペインが、バークと同じく、絶対的な新しさはこのような権利の真正さや正統性を支持する議論ではなく、逆にそれを反証する議論になるだろうと考えていた点にある」(志水速雄訳)

 アーレントが論じているのは、「革命」と訳される「レヴォリューション」とは「回りまわって戻る」という意味であり、したがって、革命の本当の意味は「復古」ということになるということだ。バークにとって「権利」はイングランドという国家の歴史を背景としたものなので、「人権」という新しい概念に基づくフランス革命は胡乱なものとなる。いっぽう、ペインの「権利」は過去に目を向ければ明瞭になると論じて、フランス革命は正しいとした。ただし、ペインの過去とは聖書の「天地創造」のことに他ならない。

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それでは、ペインの権利概念も、独立宣言を起草したジェファーソンの天賦人権も同じことになってしまうわけで、アメリカの独立を支持した英国の思想家はバークではなく、トマス・ペインということになってしまった。アーレントは「いうまでもなく、歴史的にみれば、バークが正しく、ペインが間違っていた」と断じているが、アメリカの教科書ではペインが正しい。もちろん、日本の教科書もペインしか出てこない。

 では、こうした2つの視点から、今回の議会襲撃というトランプ革命を見直すとどうだろうか。反乱軍のメンバーは、アメリカ帝国の繁栄から置いていかれ、うらぎられたプア・ホワイトたちである。彼らはアメリカ国民であるから、独立宣言および憲法によって天賦人権と抵抗権をもっている。まちがった政府を攻撃して、正しい政府に取り換えることは、正当な行為ということができる。彼らこそアメリカの「民主主義の危機」に立ち上がり、「民主主義の復活」を試みたのだ。少なくとも、そう主張することは、アメリカの「民主主義」の意味からすれば難しくない。

 ただし、その正しさや正当さを誰が判断するかである。バークの見解からすれば、それらはアメリカの歴史や文化の文脈のなかで考えることになる。はたして彼らのアメリカ政府は正当性を失うほどアメリカ史のなかで逸脱していたのか。ジェファーソンやペインの見解でいけば、彼らが人間であり人権とされるものが損なわれているのなら、何らかの抵抗を企てるのに他の条件が存在するとは思えない。それは神だけが知ることなのである。(ついでに言っておくと、ジェファーソンの「人間」の概念は狭いものだったらしい。彼の農場には多くの黒人奴隷が働いていた)

もちろん、政府に裏切られたと思う者たちが、政府の改造や廃止あるいは新しい政府を樹立するには、武装力、資金力、組織力で、かなりのブレーキがかかる。しかし、単に政府に目にモノ見せるだけなら、今回のレベルの連中にも可能だったわけである。もちろん、アメリ憲法には「国家反逆罪」があって、反逆者を厳しく罰することは可能だが、しかしそれは外国と一緒になって合衆国を転覆する行為に加担した場合である。

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 あらゆる革命あるいはクーデターは、宗教的なものであろうと思想的なものだろうと、いちおうの正当性を組み立てていく。そうした革命理論なしには、そもそも組織も資金も武力も集まらないだろう。20世紀における革命やクーデターをみてみよう。1918年のロシア革命は、当時のマルクス思想に染まったエリートたちが組織をつくり、軍隊を味方に巻き込むことで急速に現実化していった。それはいまからみれば怪しげな理論だったが、いったん革命に成功してしまってからは、統制経済で失敗しながら70年もの間継続した。

 ベニート・ムッソリーニが、最初は単なる大規模なデモのつもりで始めた「ローマ進軍」が、いくつもの偶然によって革命としての成果を上げたのは1922年だった。ファシスト党を最初のころ支持し、資金などを提供してくれたのは、労働者政党の台頭におびえる小規模農園主たちだったという。ムッソリーニは国王より組閣を命じられ、ファシスト時代は1943年まで続いた。

 ファシズム第一次世界大戦後まもなく政権をとったのにたいし、ドイツのナチズムはアドルフ・ヒトラーが政治的駆け引きの弾みから首相に任命されたのは、1933年になってからだった。たんなる伝令をやっていた陸軍伍長が、戦後政治に目覚めて一時は共産党の旗持だったが、小さな右翼思想団体に参加するや指導力を発揮し、カップ一揆では失敗するが、やがてナチス党を巨大な政治運動体にまで育て上げた。敗戦ドイツという空間と大戦間という時間を化合させて、あれほどのエネルギーを生み出したとしか言いようがない。その後、軍隊を消耗させ、経済を消耗させ、1945年、ほとんど瓦礫の山となったベルリンで、ヒトラーが1945年に自殺するまで存続した。

 歴史的に見ると巨大な政治運動も、そのきっかけは小さなものであることは多い。いまアメリカでは、トランプ大統領をどのように「処理」するかをめぐって、民主党共和党も眠れないほど悩んでいる。たとえば、トランプを辞職に追い込むとか、弾劾裁判にかけるとか、いろいろ案は出てきても、もう時間切れである。なぜ、そんなに焦燥にかられているかといえば、ここでトランプがホワイト・ハウスから去っても、それで問題が終わりにのなるわけではないからだ。何かをきっかけに、ふたたびトランプが巨大な権力を握る可能性が否定できない。あるいは「後継者」が出てくるかもしれない。

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トランプという異常なプロパガンディストに熱狂した人たちは、いまも何千万人も存在していて、その一部が議会占拠から排除されたとはいえ、むしろ、消えかかっていた薪は再燃しつつある。それがどのように大きな炎を燃え上がらせるか、ワシントンの住人たちは毎日不安でならないのだ。いまもアメリカは軍事、政治、経済力において世界のトップを占めているとはいえ、そのすべてが頂上からの転落を予想されている。そのなかで、国内の格差はますます広がり、不満を抱いている国民は急速に増えている。

 たとえば、トランプという人間がもう少し慎重なところのある人間だったら、あるいは、大衆を組織的に扇動する才能がもっとあったら、今回の大統領選でも勝っていたかもしれない。いや、負けたいまでも、元大統領としてのネームバリューを十分に使って、新しい政治勢力を形成していったらどうなるだろう。そうした不安がアメリカの政治、経済、法曹のエリートたちのなかで渦巻き大きくなっている。そしてその漠然とした憂いは、アメリカの民主主義が消滅してしまわないかぎり、急激に現実化する危険性をはらんでいる。