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東谷暁による「事件」に対する解釈論

インフレ時代が始まった?;米国インフレ率5.4%が予感させる未来

7月13日に第2四半期におけるアメリカの消費者物価指数が5.4%に達したと発表されショックを与えている。エコノミストたちの予想はせいぜい2.6%くらいだったのに、その2倍を上回った。しかも、前期にくらべて0.9%という数字も大きいし、コアCPIも4.5%と予想をはるかに超える数値だった。

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「ロックダウンが終わって、経済回復が確実になると何が起こるか。その答えはインフレーションの急騰であり、おそらくは5%を超えるだろうし、2021年でみたときには10%になる可能性がある」

この予測を述べたのは英国中央銀行の政策委員だったチャールズ・グッドハートで、昨年3月27日付の小論「コロナ後にくる未来の不完全性」においてだった。もちろん、この数値は英国の予測であり、現実には英国のインフレ率は、高いといわれるものの、まだ2.1%にすぎない。とはいえ、英国もこの数値に到達する可能性があり、また、同国はあまりにもコロナ対策で失敗をかさねてきた。その意味では、かなり適切な予測だったといってよいだろう。

f:id:HatsugenToday:20210716150201j:plain 元英銀委員チャールズ・グッドハート


アメリカの5.4%に対しては、多くの報道機関がニュースを流したが、なぜそうなったのかを突き詰めて論じているものがない。有名な経済学者やエコノミストのコメントを並べてバランスをとっているのがほとんどである。ここではちょっとだけ、グッドハートの予想における「理屈」を紹介しておきたい。

コロナ禍による経済危機からの立ち直りが問題になるわけだが、2008年のリーマンショックのときの経済政策も規模が大きかったのにインフレにならなかった。なぜ、コロナ禍からの立ち直りではインフレが起こってしまうのか。この点についてグッドハートはつぎの3つの点を挙げている。

 第1に、リーマンショックのさいに採用された政策「量的緩和」では、ほとんどの通貨注入は民間銀行の中銀当座に超過準備として注入された。それはマネーストックには含まれない。今回は直接に注入されてマネーストックを拡大する。第2に、グローバル経済の回復がリーマンショックのときに比べスピーディであることも大きい。第3に、かつてデフレの輸出国であった中国が、いまはインフレの輸出国になりつつある。

グッドハートはこの小論を書いた昨年の3月の時点で、以降に始まる公的機関や金融機関などの反応も予測していた。第1が、政府機関は「これは単なる一時的な現象だ」と言うだろうと予測。第2に、金融界はインフレを当面は歓迎することだろうと予測。第3に、雇用が戻るのが思ったより遅くなるだろうが、その対策が後手後手になるだろうと予測。最近のニュースを聞いているような気がするほどの的中率だといえる。

 「コロナ・パンデミックとそれにともなう供給ショックは、これまで30年から40年つづいてきたデフレ圧力とこれから20年あまりのインフレ圧力の時代の分岐点となるだろう。長期停滞とか『ずるずると低迷』は過去の概念になるだろう」

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The Economist より


ということは、コロナ禍のおかげで世界経済は良好な時代を迎えるのだろうか。どうもそうではないようである。まず、すぐに分かることだが、インフレの時代には現金の価値が下落していくから、「預金生活者、年金ファンド、保険会社、ともかく現金のかたちで資産をもっている者は敗北者となる」。日本がこの波に飲み込まれれば、高齢社会プランや従来の資産計画は崩壊して、高齢者だけでなく関連した産業で働く多くの人が悲惨な目に合う時代を迎えるだろう。

それだけではない。たしかに、インフレ基調になれば、一般企業や政府が抱え込んでいる負債は解消しやすくなるかもしれないが、そのいっぽうで、あらたな政争を生み出すことになる。インフレが経済全体にとって好ましくないと中央銀行が判断すれば、巨大な負債を抱え込むのを阻止するため金利を上げるかもしれない。しかし、そうすると今度は経済を煽りたい政府のほうが、中央銀行の「独立性」に対して圧力をかけてくるようになる。

 「これから、わたしたちは資本主義を、過剰な負債を拡大する方向に駆り立てない仕組みに、改革することができるだろうか」

いまのところ、グッドハートが「予測」した範囲は、世界経済の中心であるアメリカのインフレ率が5%を超えたところまでである。それ以後は、まさにいまリアルタイムで進行しつつある。デフレが長期間にわたって経済の問題だったために、インフレは好ましいものだという観念が強くなっている。とくに若い人たちにとって、デフレは旧世代の古い経済学の悪しき結果であり、インフレにさえすれば明るい未来が開けるかのように考えている人も多い。

 しかし、これから来る可能性が高まっているインフレの時代というのは、物価が1兆倍とか1億倍になるハイパーインフレでないことは確かでも、それなりに多くの手ごわい問題を抱えた時代なのである。