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東谷暁による「事件」に対する解釈論

マリウポリ陥落の意味;ウクライナは攻防戦の間に態勢を整えた

アゾフスタル製鉄所に立て籠もっていたウクライナのアゾフ大隊が「作戦を終了」して、マリウポリ攻防戦はロシアが勝利したかたちとなった。もちろん、これは局地戦にすぎず、いまもハリキウでは戦いが続き、ウクライナ政府によれば、ロシア軍を国境近くまで押し戻しているという。

ウクライナ軍最強といわれたアゾフ連隊のパラマー副司令官


ワシントン・ポスト電子版5月17日付は「ウクライナは血塗られたマリウポリの戦いを終了、アゾフスタルの戦士たちは脱出した」を掲載した。「ウクライナの戦士たちは、数週間にわたった戦略的拠点マリウポリ市の製鉄所の防衛作戦を終えた。16日、数百人の兵士たち(そのうち数十名は重症だが)は、製鉄所の施設をあとにした」と記している。

フランクフルター紙より


これはウクライナのアゾフ大隊にとって無念だろうが、マリウポリの攻防戦だけでいえば敗北である。しかし、その間にウクライナはキーウを防衛し、ハリコフでも善戦している。たしかに、マリウポリを奪われたことで、ロシアがドンバスとクリミアの間の「回廊」をつなげてしまったが、これも戦略の一環で、マリウポリにロシア軍を引き付けたのだというのなら一定の成果である。

事実、ウクライナの司令官のひとりは、次のように西側記者に語っている。「われわれは(マリウポリ戦を長引かせることで)予備軍を整え、軍隊の配置を改め、そして友好国から支援を獲得した。マリウポリの防衛隊はわれらの英雄であり、彼らの名は歴史に永遠に残ることだろう」。

フィナンシャルタイムズ紙より;重症者を運び込む作業


5月16日に製鉄所から出たウクライナ兵は約260名と報じられている。ワシントン・ポスト紙によれば、「ウクライナのアンナ・マイヤー副国防相は、そのうち53人が重症で、親ロシア武装集団が支配している近くの町ノバゾウスクにある病院に送られた。残りの211名はもうひとつのロシア側が支配している村オレニウカに送られたと述べている。モスクワ政府とキーウ政府は製鉄所からの重傷者の移送を実現するために、捕虜の交換を交渉したとみられる」。

独紙フランクフルター・アルゲマイネ5月17日付では、数字がちょっと違う。ウクライナ側の発表では、53人が重症で残りが211人というのは同じだが、ロシア軍スポークスマンのイゴール・コナシェンコフの話では、「これまでの24時間のあいだ、51人の重傷者を含む265人の兵士は武器を放棄して、自ら捕虜になると申し出た」と脱出が降伏だったことを強調しつつ異なる数値を発表した。同紙は「したがって、ロシア側とウクライナ側では数字が若干違う」と付け加えている。

フィナンシャルタイムズ紙より;ロシア支持の印


ウォールストリート紙5月17日付の「ウクライナ軍の兵士たちはマリウポリのアゾフスタル製鉄所で武器を放棄した」との記事では、わりとクールにウクライナ側の降伏を記述している。次はマリウポリ戦の評価である。「マリウポリの戦闘の終りはモスクワ側の大きな勝利と見なせないこともない。2月24日の侵攻から目的としていた要衝を手にいれたからだ。しかし、この勝利はあまりにも重い犠牲を払ってのものだった」。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、マリウポリウクライナ軍が製鉄所から出るなかで、「わが国は生きている英雄たちを必要としている」と国民に向かって演説した。「われわれは我らの同胞の生命を救うことを望んでいる。その中には重症を負ったものもいる。彼らはいま治療を受けているところだ」。

実は、ゼレンスキーはロシア政府との間に第三者を挟んで、民間人が製鉄所を脱出した後に、ウクライナの兵士たちを製鉄所から出すための工作をしていたと思われる。それはこのブログの「マリウポリ防衛の将校たちがゼレンスキー政府を批判」の最後のところで触れているので読んでいただきたい。

 

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