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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ戦争の占領と奪還を振り返る;ロシア侵攻から1年の経緯を勢力図で見る

ロシア軍のウクライナ侵攻から1年が経過しようとしている。多くの出来事が急激に起こって、あまりにも複雑に絡み合っている。そのため、全体の大きな流れが分かり難くなってしまう危険がある。いちどこの1年を、敢えておおざっぱに振り返って、全体を捉えなおす必要があるかもしれない。


経済誌ジ・エコノミスト2月17日号が、4つの勢力地図によって、ウクライナに起こった事態をおおまかに表現してくれている。もちろん、これが決定版というわけではなく、たとえばロシアからみれば、それぞれの占領の地域も大きく異なっているだろう。ここで見ておくのはあくまで、ジ・エコノミスト誌による勢力地図ということになる。しかし、それでもこうした前提をふまえて、頭を整理しておくには有効だろう。

まず、第1図は2022年2月23日の勢力図である。翌日の早朝からロシア軍はウクライナに侵攻するが、それ以前にもすでにウクライナ領土内にロシアの占領地があった。それは2014年によるロシアの一方的なクリミア半島の占領と、ドネツク州およびルハンスク州の親ロシア分離派による軍事的優勢である。


第2図が2022年3月30日現在の状況で、ジ・エコノミスト誌はこのときがロシア軍の占領地域が最大になったときだと見ている。この間、執拗なロシア軍の攻撃にもかかわらず、首都キーウをウクライナは守り切っていて、すでにロシアは主戦場をキーウからドンバスに移動させていた。

この時機の特記すべき事態は、アゾフ海に接するマリウポリで製鉄所に立て籠もったウクライナ軍(実体はウクライナ側の義勇軍)への激しい攻撃のすえに、ロシア軍がこの地域を占領して、ドンバスからクリミアに通じる「陸橋」を確保したとされたことだ。もちろん、地図には出てこないが印象的な事件としては、ベラルーシから南下して侵攻したロシアの戦車隊が、おそらくは先頭の1両が撃破されただけで、後ろに続くロシア戦車が動けなくなったことだろう。


その後、8月31日の第3図に見られるように、まず、ウクライナ東北部の都市ハルキウに反撃を加えて奪還する。これはウクライナ軍の急襲が成功したとされ、ウクライナ軍はここから東方に向けて勢力圏を取り戻している。さらに、9月初旬にウクライナ軍は要衝であるヘルソンでも勢力を奪還する。いったんは街を流れるドニプル川の西岸にロシア軍が侵攻していたが、それを東岸に撤退させた。これが11月30日現在の第4図の状態に繋がってゆくわけだ。

いまのところ、ロシア軍の昨年2月24日の侵攻によって新たに同軍が占領した領域の54%を奪還したと算定されている(英国の国防相による1月下旬発言)。いまの状況は冬から春に変わるなかで、ロシア軍は大攻勢をかけてくるのではないかとされており、それにウクライナ軍がどのように対応するかということだろう。同誌は「冬が終わるにつれて、さらなる流血が起こることは間違いない」と締めくくっている。