ウクライナが大規模反攻に出たことは、同国のゼレンスキー大統領が認め、プーチン大統領も明確に同意している。明確でないのはどこが中心的な戦場なのか、独製戦車レオパルトが何両破壊されたのか、そしてヘルソンを水浸しにしたダムの破壊を誰が行ったかである。これらはすでに「戦場の霧」の中にあって、それ自体が情報戦と策略の材料となっている。
英経済誌ジ・エコノミスト6月9日号は「ウクライナ軍のザポリージャ進攻は反転攻勢の中心かもしれない」との記事を掲載して、6月8日に明らかになったウクライナ軍の反転攻勢は、これまでバフムト、ドネツクにも可能性があったが、どうやらザポリージャになりつつあるようだとの見方を示していた。
しかし、米経済紙ウォールストリート6月10日付は「鉄の壁:ウクライナ反攻の初日は厳しい行軍となる」との記事で「ロシアは数カ月かけてウクライナが戦いをしかけ、ロシアが構築した『陸の橋』を寸断しようとしている」と報じていて、始まったウクライナ軍の反攻は、すでに厳しいロシアの反撃に直面していることを報じている。
ウクライナの反転攻勢は行われることは分かっていたが、なかなか始まる様子がなかった。ウクライナとしては、西側諸国から武器の供与が十分になるまで、開始できないからだと指摘されてきた。しかし、それは同時にロシア軍に対して、準備を積み重ねる時間を与えてしまうもので、ウクライナには不利に働くと予想されていた。
さて、始まってみると詳細は分からないものの、ロシア軍の抵抗はかなりなものだとの情報が世界に流れている。それどころか、せっかくドイツが供与した「世界最強」と言われる戦車レオパルト2が何両か破壊されてしまったとのニュースもあった。「SNSに投稿されたビデオによると何両かのレオパルトと米国製の装甲車が失われる光景が見られた。ザポリージャ州南部における夾雑物のない平地での出来事だった」(前出ウォールストリート紙)
このレオパルト2が何両、どのように、どの程度破壊されたかについても、報道はバラバラだった。たとえば、前出のジ・エコノミストは、地雷にやられたことになっているし、フォーブス6月9日号は「少なくとも1両」であり、2両と報じたメディアもけっこうあった。また、レオパルト2が砲撃で破壊されるビデオはかなり鮮明で、ネット上でも見てみることができたので、「世界最強でも破壊されるんだ」と驚いた視聴者は多かった。
そのいっぽうで、ロシア軍の偵察機が撮影したとされるこのビデオが、偽物ではないかとの説も流された。ある投稿されたビデオは、トラクターが破壊される様子が映っていてい、不鮮明だが「タイヤが見えている」との説明が付けられていた。関係があるのかどうか不明なまま、レオパルト2が破壊されたというのはインチキで、トラクターだったのかと思った人もいただろう。
戦車について一般的なことを加えておけば、ロシアがウクライナに侵攻したさい、ウクライナ領内に入った戦車のあまりの脆弱さに「戦車の時代は終わった」との記事を掲載した雑誌もあった。ロシアの戦車の弱さは、上からの攻撃に遭遇すると、砲塔の下に収納している砲弾が連鎖爆発を起こして、砲塔が飛び出す「びっくり箱」効果を起こしてしまう点にある。それを回避する手立てをロシア軍は施していないらしい。
では、他の国の戦車はどうなのかといえば、装甲を強化しているので携帯型の対戦車ミサイルなどでは打ち抜けないとの説明がなされていた。しかし、この点が詳細に検証されていないのだが、レオパルト2ですら緒戦で破壊されてしまっているとすれば、根本的な問題は、現在、対戦車ミサイルや対戦車砲の破壊力が急進してしまい、それに戦車が追い付いていないというになる。ここらへんは検証待ちということか。
さらに、ウクライナのヘルソン州カホフカ水力発電所のダムが破壊される事態が生じた。米紙ニューヨークタイムズ電子版6月9日付は、「米偵察機が決壊直前にダムに爆発が起こったことを検知していた」と報じたが、同紙は「誰が」という点については留保していた。これについて、ウクライナは激しくロシアを批判したが、プーチンは「これはウクライナの仕業で戦争犯罪」などと発言したので、ロシアへの非難に火がついたかっこうとなった。
たとえば、英経済誌フィナンシャルタイムズ6月6日付は「ロシアがダム決壊から最も利益を得る」というレポートを掲載して、タイトル通り、多くのウクライナ側の当局者や専門家の発言を並べて、ロシアの仕業であることを印象付けている。ざっといって、ヘルソン州が水浸しになれば、ウクライナ軍の南部での反転攻勢がかけられなくなるので、ロシア軍は有利になるというわけである。
もっとも、同紙は公平を期すためだろうか、最後にロシア側説への反論もひとつだけ載せている。「ロシア人の義勇兵でブロガーのエゴール・グツェンコは『わたしは誰が爆破したとか、何らかの形で決めつける気はないが、戦術的観点からすれば、ウクライナはヘルソンでの反転攻勢について悩むことから自由になれる(というメリットがある)』と語っている」。
これまでも両軍の戦闘によって巨大なダムが危うくなるたびに、専門家の一部は、ロシアにとって占領している地域を水浸しにすれば、自分たちの軍事行動ができなくなるだけでなく、再奪還後の復興が難しくなるだろうと指摘していた。にもかかわらず、ロシアが戦略のひとつとしてカホフカのダムを破壊したのならば、ついにロシアは苦境に陥り、戦いの後のことまで考えられなくなったということだろう。
また、反転攻勢が直接クリミアを目指さないという理由として、クリミアは「攻めることはできても、守るのが難しい」という地形であることが挙げられていた。ウクライナはヘルソン市まで奪還していても、それからさらに南に進む可能性は低いとして、主戦場は南部のクリミアではなく、メリトポルやトクマクのあるザポリージャ州になるという説の根拠になっていた。
これまでは、ザポリージャが主戦場になるとの予想が有力で、ウクライナの反転攻勢が開かれた当初は「やはりザポリージャだった」と思われた(私も思った)。しかし、その後のウクライナ軍の動きを見ると、まだ分からないとの慎重な見方がでている。米紙ワシントンポスト6月10日は、「ウクライナの反転攻勢が始まって、プーチンの政治的危機は高まる」との記事も掲載している。ロシア政治のアナリスト、タチアナ・スタノヴァヤは次のように述べている。
「もし、ロシアがクリミア廻廊(「陸の橋」とも呼ばれる)を失えば、それはかなり深刻な衝撃となるでしょう。それは誰よりもプーチンにとって難しくなる。彼はそうした状況を想定してこなかったし、そうした状況を乗り切ることはできないと思われます」
しかし、ロシア国民の大多数がプーチンを見放すとすれば、それはロシア国民の日常生活が崩壊の危機に瀕したときではないのだろうか。クリミアを失うという不名誉はプーチンにとってはショックだが、果たして戦争が続いているなかで、プーチンを引きずり落とすような反プーチン運動が、いまのロシア社会に起こるのだろうか。これまでのところ、モスクワがドローン攻撃を受けることがあっても、国民の生活が全般的に逼迫しているという根拠に基づく情報はほとんどない。
ロシアはこれまで戦場になっていないため、まだ国民生活への破壊的な影響を受けていない。たとえ反転攻勢によってある程度の勝利をウクライナが得たとしても、ロシアを徹底的に破壊してモスクワを占領するといった事態は、ウクライナの兵力を考えれば考えられない。両国の戦争継続への意欲に変化が出てきたところで、EUおよびアメリカをいれた(そして場合によれば中国をいれての)和平会議が平和への唯一の道であるように思われる。