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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ヘルソン奪還が生み出すジレンマ;遠のくウクライナとロシアの対話

ウクライナはヘルソンを奪還したが、和平への道のりはまだ遠い。それどころか、この要衝を取り戻したゆえに、これまで隠れていた問題が顕在化している。ロシアの特殊部隊についての研究やロシア史の著作で知られるマーク・ガレオッティが、ウクライナ戦争の「これから」を描き出している。それはけっして明るい未来ではない。


「ヘルソン市の奪還は、もちろんウクライナの勝利である。しかし、その勝利の背後には、多くの問題が見え始めている。西側諸国とウクライナ政府との不協和音は、和平交渉をいつ行うかという問題や、戦争の終わり方に暗い影をなげかけている。ウクライナ軍はこれからクリミアに向けて進軍すると思われるが、ここにはより重大で差し迫った危機が潜んでいる」

この文章は、先に述べたように、ロシアの歴史やウクライナ戦争についての著作をいくつも書き、最近も『プーチンの戦争』を上梓したマーク・ガレオッティが英紙ザ・タイムズ11月12日付に投稿した「プーチンは鼻をへし折られたがゼレンスキーは自信過剰にならないほうがいい」の締め括りの文章である。たしかにウクライナ軍によるヘルソン奪還は歴史に残る出来事だが、問題はこれから浮上してくる多くのジレンマの解決なのだという。

ガレオッティは今回のヘルソン奪還について、ウクライナ軍がいかに注意深く戦っていたかを指摘している。つまり、ロシアにとっての打撃がプライドをかろうじて超え、ヘルソン放棄を受け入れるレベルに達するのを目標としていたという。そのいっぽうで、ロシアはプーチンが不注意にもヘルソン住民を「永遠のロシア市民」と宣言したにもかかわらず、実はヘルソン撤退を発表する前から準備をしていたことも示唆している。

The Timesより:ヘルソンの戦いはウクライナの勝利となったが


これは、プーチンが狙っているのが、ウクライナの壊滅ではなく、「西側がウクライナとともに戦い、支援しつづける意志をくじく」ことにあるから生じたという。しかし、いっぽうのウクライナの目標は、西側諸国のそうした意志を超えたところにあって、ロシア軍をウクライナから完全に追い出すまでは、戦いをやめようとはしないだろうとガレオッティはいうのだ。そして、そうだとすれば、ウクライナはヘルソンを奪還したからといって、これを機会にロシアとの対話を受け入れようとはしないだろう。

今回のヘルソン奪還が西側諸国にとっても歓迎すべき事態だったのは、占領されたひとつの地域がウクライナ軍によって取り戻されただけでなく、その攻撃がロシア軍のさらなる壊滅を引き起こさなかったからだと彼は分析している。もし、ウクライナ軍がヘルソン奪還だけでなく、さらにクリミア半島にまで攻め込んで大勝利していたら、悪夢となっていただろうとガレオッティは述べている。

2014年のロシアによるクリミア併合は、プーチンも自分の大きな成果だと考えてきた。それが灰燼に帰すような事態が、急激で予測できない速度で起これば、いくら「冷酷」に見えるプーチンでもパニックに陥る可能性があり、まかり間違えば非戦略的(つまり戦術的)核兵器の使用に至ってしまうかもしれない。

こうした危険な状況のなかで、西側諸国にはやっかいなジレンマがいくつも生まれることになると、ガレオッティは指摘している。まず、アメリカを初めとする西側諸国は、勝利の歓喜で興奮しているウクライナに対して、今のアドバンテージを使わないで、成功するかもしれない領土(クリミア)の奪還を、試みないように頼むなどということは、事実上、できない。そもそも、そんな話にウクライナ政府は耳を貸すはずもないのだ。敢えてやろうとすれば、現政府は国民に袋叩きにあうだろう。


また、ヘルソン奪還を機会に西側諸国には、ウクライナとロシアの対話を開始させてはどうかとの動きがあるが、これも可能であるように見えて、実はかなりむずかしい。ロシアは対話について、ときおり柔軟であるような姿勢を見せるが、実は、その条件として、「すでに併合した領土は返さない」「停戦はロシアが優位にある時点で行われる」「紛争地域での親ロシア勢力の再編や再軍備を認める」などを付けている。もちろん、これらの条件をいまの勝利に沸くウクライナが呑むわけはないだろう。

それどころか、ウクライナのゼレンスキー大統領は、先月(10月)、ロシアとの対話を始める条件として、「プーチンがロシア大統領でなくなってから」と発言している。プーチンは対話の相手として信用できないというわけだ。こうしたウクライナ側の態度硬化を重くみて、ロシアは「平和の障害はほかでもないゼレンスキー政府」と言っているしまつである。

以上がマーク・ガレオッティによる、いまのウクライナ情勢の(私の解釈を含む)ジレンマ分析だが、さらにアメリカが「この戦争を利用して、ロシアの勢力を可能な限り削いでおこう」という姿勢で臨んでいることも大きい。バイデン政権がこんどの中間選挙で明白な「大敗北」を喫すれば、代理戦争の長期化も批判されるという予想もあった。しかし、米民主党系マスコミは、トランプの再登板を嫌うあまり、現実以上にバイデンとデモクラシーの「勝利」を強調しているために、世界のバランサーとしての超大国の役割が果たされない。これも西側に生じた大きなジレンマなのである。