コロナ感染拡大が終息に向かわないので、中国のゼロ・コロナ政策に批判が高まっていた。ところが、中国内外の専門家たちの提言ではゼロ・コロナをやめると約160万人の死者がでるというので衝撃を与えている。この提言というのは、いったいどのようなコロナ対策ならいいといっているのだろうか。
習近平さん、これからどこに向かうのですか?
英経済誌ジ・エコノミスト電子版5月13日号に「もしゼロ・コロナを放棄したら何が起こるか」という短い速報が掲載された。中国でのコロナ感染は公式のものでも50万人を超えた。それなのに「ロックダウンをすべてやめてしまったら、約160万人が亡くなり、感染の波のピークには、中国は集中治療ベッドがいまの16倍必要になるといっているのだ」。
上海の地下鉄はいまも「閉鎖」状態にある
同誌は最近、中国のゼロ・コロナ政策に対してかなり批判的になっていて、5月14日号では「中国の新聞に載っているコロナ情報は信じるな」と批判した。また、同日号の「中国のゼロ・コロナ産業複合体」との記事では、かつての「米国軍産複合体」と同じく、コロナ政策で政府衛生当局とTRC検査企業とが癒着していると告発。さらに同日号の「中国の極端な輸出ブームは終わりを迎えた」では、「一帯一路」政策による中国経済の輸出の行き詰りをかなり厳しく指摘している。
中国の輸出ブームはつかの間のあだ花だった
前出の「もしゼロ・コロナを放棄したら何が起こるか」で取り上げたのは、中国内外の専門家たちによる論文「中国におけるコロナ・オミクロン株の潜り抜けをモデル化する」で提言されたこれからのコロナ対策の提言で、すでに専門誌『ネイチャー・メディスン』3月22日号に発表されていた。この論文の冒頭をみると、中国国家自然科学研究所による支援で行われてきた研究の成果で、いちおう公的な研究による提言であることが分かる。
かなり専門的な統計学を用いた部分があるが、それは割愛して、この論文の分析と提言の中心部分を直接読んでみることにしよう。「中国は幾層もの非薬剤的介入(NPI)計画によって、そのほとんどが海外から持ち込まれたコロナ・ウイルスの拡散を封じ込めようとしてきた」。それと同時にコロナ・ワクチンの接種も4月18日現在で、3歳以上の国民はすでに91.4%にも達している。三回目の接種を受けた割合だけでも53.7%に達した。
「しかしながら、ワクチンが生み出した公衆免疫はコロナの拡散を押さえるには十分ではなかった。今年3月1日から4月22日までの間に、50万人以上がオミクロンに感染しており、そのうち93%が上海での感染である。高度に感染しやすく免疫回避的なオミクロン株を封じ込め、ダイナミックなゼロ・コロナ政策を続けるには、追加的なNPI措置が求められるのである」
上海はいまも全体がロックダウン状態が続いている
ここだけを読むと、こんどの論文に集結した専門家たちも、まったく反省していないのではないかと驚くが、もう少し読んでみると、ちょっとニュアンスの異なる部分に出くわす。「すべての国は、地域的な疫学、ワクチン接種、公衆の免疫を考慮し、衛生システムを強化することによって、(広域にひろがる)パンデミックから(地域の限られた)エンデミックの段階へと、独自の道筋を描くべく構想すべきなのだ。こうした観点から、今年の5月から中国においては、2種類の抗ウイルス剤カクテルを新しいコロナ治療として採用することとなった」。
専門家たちによる提言に添えられたグラフ
この論文によると今年の3月までのワクチン接種だけでは、オミクロン株に対する十分な免疫が国民に形成されないことが分かったので、それでは「集中治療のための準備がこれまでの15.6倍も必要になり、また、約155万人の死者をもたらすことになる」という。そこで、複合的な対策が必要になる。(ジ・エコノミストはちょっとばかり四捨五入で多く見えるように表記している)。
つまりは、病院のベッドや集中治療を強化しながら、「ワクチン接種、抗ウイルス剤、そしてNPI(つまり、ゼロ・コロナのロックダウン)を組み合わせて、コロナの負担を緩和する戦略を追求」すべきなのだというわけだ。どこに力点を置くかによってもかなり異なるが、結局のところは、先進国がそれぞれの違いはあっても、いまかろうじて試行錯誤の末にたどり着いている、複合的な感染防止および治療体制に向かうべきだというわけである。
あまりに当然のことのように思う人がいるかもしれないが、習近平に指導されている中国共産党が常に正しいはずの中国においては、こうした常識的であたりまえの路線の修正や訂正も、天地がひっくり返るような厳しい試練となるのだ。前出のジ・エコノミスト誌は述べている。「いまも学校の閉鎖や人流の制限などを行なっているが、それはゼロ・コロナ政策がそうだったように、同じやり方で問題を引き延ばしているだけになってしまう。北京政府の誰でもいいから、聞いているだろうか」。