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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国の国防相は失脚して取り調べ中だ;李尚福をめぐる混乱の根本的問題に迫る

中国の国防相だった李尚福の更迭あるいは失脚が確実になりつつある。アメリカの高官および情報関係者は、李が取り調べを受けていると見ている。これも不動産バブル崩壊によって生まれた混乱が関係していると思われるが、もちろん、それがそのまま習近平体制が「崩壊」することにはつながらない。むしろ、しばらくは逆に習近平政権の強権的な性格と、軍事への傾斜が加速するのではないだろうか。

そもそも、なぜ調達部門のトップを国防相に据えたのか?


英経済紙フィナンシャル・タイムス9月14日付は「中国の国防相が政府の取り調べを受けていると、アメリカ政府は見ている」との記事を掲載。これまでの予想どおり、公的な場から姿を消した李尚福国防相は役職を解かれており、アメリカ政府はすでにその概要をつかんで、成り行きを注視していると報じた。

アメリカ政府の3人の高官と情報部門の2人は、この2週間以上にわたって公式の席に出ていない李尚福が、国防相の役職をとかれたと結論づけていると語った」とフィナンシャル紙の記事は書いている。同紙は、同日の直前にロイター電子版が、「ベトナムで開催された防衛関係の会議に、中国の李国防相が突然欠席した」と報じたことを根拠としているが、すでにアメリカ政府は事態を把捉していたとも述べている。

フィナンシャル紙より:李尚福は軍の調達部のトップだった


もちろん、中国政府はベトナムでの会議に国防相が欠席したことについて、いまのところ何も述べていない。しかし、それは7月に当時の秦剛外務相が失脚したときと同じで、いつものことだ。中国政府が沈黙を守るときには、中国に都合の悪いことが起こっていると推測すれば間違いない。フィナンシャル紙はアメリカ政府の判断について次のように報じている。

「あるアメリカの高官のひとりは、匿名を条件として、ワシントン政府はベトナムとの会談を李が突然キャンセルしたことを認識していたという。アメリカ大統領ジョー・バイデンは先週ハノイを訪れており、アメリカとベトナムのパートナーシップを、より高い次元まで上げることで同意していたばかりだった(このときに米政府が確証を得た、と言う意味なのか)」

数時間先行したロイター電子版を振り返っておくと、ベトナムの高官がこの木曜日に、中国の李国防相が先週予定されていた会談を、突然、「健康の状態」を理由にキャンセルしてきたと発表したという。前回の秦剛外務相の更迭があり、ロケット部隊で開発を担当した人民軍調達部門の高官2人が首になった。そして、今回の国防相の失脚にもかかわらず、沈黙する中国政府のやり方を、フィナンシャル紙は「ミステリアス」などと書いているが、これもいつものことだ。

フィナンシャル紙より:どのような「取り調べ」を受けているのか


2紙が報じていることから紹介すると、いま取り調べ中の李尚福は人民軍の調達部門でトップを務め、ロシアから大量の武器購入を推進した責任者だった。そのため、アメリカは2018年から李に対して制裁措置を行ったので、中国の国防トップは現在のアメリカ国防相オースティンとの会談ができなくなっていた。

単純に考えても、軍隊の調達部門は腐敗の温床になりやすく、必ずしも対称性や直接の関係はないかもしれないが、先日のウクライナの国防相更迭の例をみても、それは分かる。逆にいえば、こうした部署を経てきた人物については、高位に任命するさいにはかなりのチェックが必要になり、また、政治的な理由で何らかの罪に陥れるさいには、きわめて容易だともいえる。

フィナンシャル紙より:ウクライナのレズニコフ国防相更迭は奇妙なものだった


フィナンシャル紙では、李が失脚すればこれまで停滞していたアメリカ国防相との対話が可能になるのではないかとの、中国専門家のボニー・グレーザーの見解を紹介している。ただし、グレーザーは「今回の事件が習近平の軍へのコントロールの低下を疑わせるというというところまではいかないが、中国のシステムは腐敗が起こりやすいということは、思い出しておいたほうがいい」と付け加えている。

これは今回の一連の更迭・失脚で明らかになったことだが、腐敗だとして摘発する側が依存しているシステム自体に、もともと腐敗の因子が存在しているのだ。もっと単純にいえば、腐敗を理由として高官を次々に退けても、根本的な問題は何も解決しないということになる。なぜなら、腐敗是正をさけぶ権力者たちこそ、すでに長年にわたって、どっぷりと腐敗の沼につかってきたからである。

腐敗摘発は独裁的政府が危機に陥ると使われる政治的道具だ


日本ではまたしても、これは「中国崩壊」につながるとの説を振り回す評論家が出てきたが、「崩壊」にはさまざまなレベルがある。中国という文明の崩壊か、中国共産党に支配されている政治システムの崩壊か、あるいは習近平が推進している腐敗摘発政策の崩壊か、たんに今の経済システムの崩壊なのか。それぞれのレベルの関係と、今回の崩壊のレベルを論じなければ、単なる気分的発言に終わるだろう。

たしかに、中国のいまの「共産党支配のなかでの市場経済の推進」というシステムには欧米の価値観からすれば矛盾がある。しかし、それだけでいまの「赤色王朝」の中国が根本的な崩壊のプロセスに入るとは思わない。世界を見渡せば、市場が発達しても専制的支配が続いた例など、列挙にいとまがないだろう。欧州でも独裁制の国が市場経済を続けた例はある。しかも、経済的に危機を迎えてはいても共産中国という政治システムが軍事費を低減させていくことはない。どのような矛盾の弥縫策をとるにしても、当面、中国はアメリカへの脅威であり、日本にとっても恐怖であり続けるだろう。

【追記 9月16日12:50ころ】英経済誌ジ・エコノミスト9月15日号が「中国の国防相失踪をめぐるミステリー」(また、ミステリーか)を掲載している。同誌は李尚福の失踪の理由として2つの説を挙げていて、ひとつは、李を含めて4人の将軍が更迭されているが、それはロケット部隊にまつわる問題が災いしたというもの、もうひとつは、李個人の軍備調達部門でのキャリアが災いしたものである。

日本ではあまり注目されていないが、今後の習近平体制を考えると重要だ


まず、前者だが、李とロケット調達部門の2人以外にも人軍事法院長の程東方が8カ月で解任されており、この4人はすべてロケットがらみだという。それが証拠には、習近平は後任人事において、この4人とは無縁の海軍と空軍から選択しているという。これは腐敗を生み出した人脈を断ち切るためだったというわけである。

後者については、李が長年携わっていた武器開発と調達の不祥事に関連したものだという説である。これは同じような話に聞こえるが、前者がロケットをめぐって生じていた政治勢力の一掃であったのにたいし、こちらはあくまで李個人の周辺の腐敗が問題になったとするもので、上の投稿でも説明しておいた。

さらに、もうひとつあるとすればとして追加しているのが、習近平が人民軍の増強で求めていたことに十分に応えられなかったという説だ。しかし、これは中国の国防相というのは軍の作戦には直接タッチする立場にないので、たとえば台湾侵攻のプランが進んでいないとか、プランがうまくできていないとかで李が失脚したとは考えられない。

ちなみに、このブログの「こんどは中国の国防大臣が姿を消した」(↓すぐ下のリンクを参照)で触れた、アメリカの駐日大使ラム・エマニュエルがまたXに投稿していて、前回はアガサ・クリスティーを引用していたが、こんどはシェイクスピアハムレットの「デンマークには何かまずいことが起こっている(何か腐敗がある)」との一節を引用しているらしい。大統領府では論争好きで攻撃的なので「ランボー(名前のラムにひっかけて)」と呼ばれたそうだが、ちょっと洒落としては乱暴というべきか。

 

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