HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

イスラエル・ハマス戦争以後の世界;第3次世界大戦にならなくとも大きな変化が生まれつつある

ガザ地区での戦いは続いているが、それが終了したのち、世界はどうなるのか。第3次世界大戦がすでに始まっているという人もいるが、それはどこまで妥当なのか。世界規模で情報戦が進行するなかで、正しいイメージを持つことはきわめて難しい。しかし、こういうときにこそ、冷静な観察をしてきた論者の意見を参考にしたいものだ。


ハーバード大学教授のスティーブン・ウォルトは、いわゆるリアリストの国際政治学者だが、その冷徹な分析と批判を恐れない発言は、こころある人たちの高い評価を得ている。イスラエルハマス戦争はこれからどうなるのか、そして、それが終わったとき世界はどうなっているのか。ウォルトが外交誌フォーリン・ポリシーに寄せた「イスラエルハマス戦争後、世界はそれまでと同じではない」を読んでみよう。

このコラムの冒頭でウォルトは、いつものように「警告」を行っている。極端な悲観論や甘い楽観論は何の役にもたたないことに、改めて注意を喚起しているのだ。「危機や戦争は起こるが、冷静な思考はまさっており、それらの帰結に限界を与えようとする」。もちろん、例外はあるが、「われわれがいま第3次世界大戦への崖っ淵に立っているとは思わない」。


とはいえ、「この戦争が封じ込められ、すぐに終わったとしても、重大な波紋は世界に及んでいくことは確かだろう」。10月7日にハマスの急襲が行われる以前に、すでに、ウクナイナ戦争は「反転攻勢」が停滞して、状況はロシアに有利になっていた。また、アメリカは中国に対して事実上の経済戦争を仕掛けていたが、中国を封じ込めることについては懐疑論が出ていた。そして、中東ではイスラエルサウジアラビアの関係修復に乗り出していたが、パレスチナを無視したこの外交は反動が生まれるだろうと警告されていた。


ウォルトがまず注目するのは、イスラエルハマス戦争がアメリカ主導のイスラエルとサウジの関係正常化を叩き壊してしまったことだ。もちろん、長期的には繰り返される試みであるにしても、いまのところ交渉の継続は難しくなり、ガザ地区での犠牲者が急増しているなかで見通しはつかなくなっている。この正常化交渉の破壊は「ハマスが今回の急襲の目標のひとつとしていた」ことは間違いない。

また、アメリカは国際政治の軸を中東からアジアに移そうとしていたが、それがまったく不可能になってしまった。中東でイスラエルとサウジの関係を正常化すれば、その分、東アジアへの外交資源の投入を増加できると考えたわけだが、ガザ地域で戦争が続くなかで中東を中心軸とせざるをえなくなっている。「バイデン大統領もブリンケン国務長官も数日おきに中東にでかけ、そのかたわら他の地域に時間を割くことはできない」。台湾、日本、フィリピン、その他の中国の勢力拡大のなかで脅威を感じているアジアの国々にとっては、きわめて悪いニュースといえる。


そして、いうまでもなく、ロシアとの戦争を継続しているウクライナにとっては、ガザでの戦争は大惨事といってもよい事態である。すでに、バイデン政権のウクライナ支援に対しては共和党から批判が繰り返されていたが、10月4日から16日までの間にギャロップ世論調査をしたところ、これ以上のウクライナ支援は必要ないと答えた人が、6月の調査では29%だったのに、今回は41%にまで跳ね上がっている。

問題はそれだけにはとどまらない。ウクライナ戦争は軍需物資の消耗戦となっており、戦場は砲撃戦が中心に展開している。アメリカはこの戦争におけるウクライナの要求に、すでに応えられなくなっている。そこでアメリカはこれまで韓国やイスラエルに送り込んだ軍需品を、ウクライナに回すようにしていたのだが、こんどの戦争ではイスラエルが戦場になってしまったのである。


イスラエルハマス戦争は、実は、ヨーロッパにとっても悪いニュースだった。EU議長のフォン・デア・ライアンはイスラエル支持を打ち出し、実際にイスラエルへの支援を進めようとしてきた。しかし、EUの加盟国のなかでは必ずしもイスラエルとの関係がよい国ばかりではない。そのためEU内部で中東外交において分裂が顕在化して、フォン・デア・ライアンが過剰なイスラエル関与を批判される事態になっている。

いっぽう、ロシアと中国にとっては、ガザでの戦争はきわめて良いニュースとなっている。ロシアと中国は冷戦終結後にアメリカが展開してきた中東政策が失敗してきたことを強調することができ、両国の政府系メディアは自らを「かけがえのない国」と称する国に対する批判を頻繁に行うようになっているという。その過程で両国はグローバルサウスとの関係を強化するチャンスを手にしているといえる。


それに対してアメリカは今回のガザにおける戦争とのかかわりのなかで、これまでもあった「ダブルスタンダード」をあらわにしている。「イスラエルの圧倒的なハマスへの報復はこれまでもあったアメリカへの不信感を拡大しており、欧米以外での地域でのパレスチナ側への共感を生み出すひとつの理由ともなっている」。

そもそも、イスラエルハマス戦争によって、イスラエル側が1400人、ガザ地区が1万人を超える犠牲者が出たと報道されているが、たとえば、国連が発表したデータではコンゴ民主共和国で生じた難民は約700万人といわれ、こうした欧米マスコミが優先的に取り上げる事件の数字上のアンバランスも、グローバルサウスが欧米に反感をもつ要素ともなっているという。


もちろん、グローバルサウスの国々が欧米の欺瞞に不信感や反感をもっていることは事実でも、実際には利害には敏感で、アメリカやヨーロッパ諸国に援助を仰いでおり、その意味ではあまり強調しすぎるのは注意しなければならないかもしれない。しかし、信頼や関心がこれまでの欧米から離れつつあることは間違いなく、「もし、グローバルサウスの多くの国がワシントンに代わって中国を信頼や関心の対象としはじめたとしても、おどろかないほうがいいだろう」。

ウォルトが最後に指摘しているのは、アメリカが外交力が低下してゆくなかで、世界においてどのようにふるまえばよいか、分からなくなってしまっているということだ。これまで世界の国々がワシントンに信頼を置き追従してきたのは、アメリカの指導者が何をすべきかを明確に知っており、どのように振舞えばよいかも分かっているように見えたからだ。「しかし、そうでないと分かったなら、いったい誰がアメリカの助言を受け入れるだろうか」。