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東谷暁による「事件」に対する解釈論

イスラエルの病院攻撃は正当化できるか;証拠の提示と法理の適用の先に行く前に

イスラエルハマスの一時的停戦は2日延長となった。その後、どのように展開するかは不明だが、イスラエルハマス殲滅を明言している限り(そしてハマスイスラエル消滅を夢見るかぎり)、停戦は可能でも講和にたどりつくのは困難だと思われる。今回の場合、たしかにハマス側が先に急襲したことは間違いないが、そのことでイスラエル軍ガザ地区の一般人を駆逐する正当性は生まれたのだろうか。ことに病院を攻撃する理由については微妙な問題が横たわっている。


ここではメディアに登場した典型的な議論を取り上げて、それが将来的に今回のような悲惨な状況を生み出さないことに寄与するのか考えてみたい。まず、英経済誌ジ・エコノミスト11月16日号に掲載された「シファ病院におけるイスラエルハマスの正しいことと間違ったこと」は、あくまで法理によって判断する議論の典型といえるだろう。ひとことでいえば、イスラエルは法理的にシファ病院を攻撃することには正当性があり、ただし、これからのガザ攻撃においては住民を保護するという、法理を超えた義務があるというものだ。

この記事では国際人道法(かつては戦時法規といった)において病院を攻撃してはならないというのは正しいが、シファ病院にはその資格がすでにないと指摘する。ひとつは、2014年の戦闘のさいにハマスがこの病院で敵兵の尋問や拷問を行っており、それは軍隊が病院を軍事目的で使用したことになるからだ。もうひとつは、すでに敷地内でハマスの武器が発見されており、さらにアメリカがシファ病院の地下には軍事目的のトンネルが存在することを指摘していることも根拠になるという。


「これらが示唆するのは、シファ病院は法理的にイスラエル軍の攻撃目標であるとしてよく、これまでイスラエル軍によって提示された情報も正しかったといえる。11月16日にイスラエル軍は病院の中で武器の隠し場所を発見しており、ほどなくハマスのトンネル基地があることも明らかになるだろう」

すぐに気が付いた人も多いと思うが、この記事が掲載されたのは11月16日号であって、その時点での証拠に基づいている。とはいえ、この記事の論理構成はシンプルで分かりやすいので、イスラエルにシンパシーを感じる読者にとっては、かなり納得できるものだったろう。問題はここで証拠としているものが、本当に証拠のレベルになっているかである。


まず、2014年の尋問と拷問だが、出どころはアムネスティ・インターナショナルで、人権保護団体として地道な活動を続けており、信頼性も高いといわれる。しかし、アムネスティウクライナ戦争におけるウクライナ軍の配置が、民間人をロシア軍の攻撃を受ける危険にさらしているとのレポートを発表したさい、激しい反発を受けると、ウクライナ国民に不快感を与えたと謝罪し、せっかくの指摘を台無しにしてしまったことがあった。必ずしも他から独立した権威的な存在ではないのだ。しかも、たとえ2014年の病院の現実の指摘が正しいとしても、それが2023年にも当てはめることができるのかは分からない。ここにはかなりの飛躍がある。

また、病院での武器の隠し場所についても、MRIの陰に自動小銃を発見したと公表したが、そのさいの自動小銃は1丁だったのに、数時間後の別の取材者が訪れたときには2丁に増えており、最初の1丁も元からあった証拠といえるのか怪しくなってしまった。さらに、アメリカも情報を持っているとされた地下トンネルの基地だが、11月下旬に公表されたビデオでは「会議が可能なスペースの部屋」の映像は発表されたが、はたしてそれが以前の主張である「本部」とか「基地」とか言えるようなものだったかといえば、とても納得できる説明ではないのである。


こうした私の指摘は、時間を経ることで得られた情報に基づいているが、実は、同じジ・エコノミストの11月18日号に「イスラエル軍のシファ病院への攻撃は正当化できるか」が掲載されている。興味ぶかいことに、この記事は前掲記事のわずか2日後の記事でありながら、前出の「シファ病院におけるイスラエルハマスの正しいことと間違ったこと」において証拠とされていた事物について、疑問に思われる点を、かなりの配慮をしながらもしっかりと指摘していたのである。

まず、イスラエルが「発見」することになる「基地」だが、「10月27日にイスラエル軍が指摘していたのは、このサイトには『いくつもの地下構築物』が存在しており、それは指導者たちによって使用され、『コントロールセンター』からロケット発射を命令する」といった大規模なものとされていた。しかも、そのイメージは3Dのコンピュータグラフィクによって、世界に向けて発信され、信じた人も多くいただろう。しかし、イスラエル軍が見つけたのはトンネルとその横部屋であって、あまりの落差があって、多くの報道機関がその後の発表と報道に情熱を持たなくなってしまった。


また、アムネスティが2014年にレポートした「尋問」や「拷問」についても、その事実は否定しないものの、さまざまな武器や弾薬については「発表された写真というのは、小銃や弾薬、イラン製の対戦車ロケットなどだが、それらがMRI室に隠されていたというのである」と、突き放した調子でレポートしている。さらには、そうしたものが病院の攻撃対象からの除外失格の理由になるか否かについても、「ジュネーブ条約では、負傷兵がもたらした小さな武器や弾薬などは、それだけで資格を剥奪するには十分ではないとしている」と述べて、抽象的法理だけの議論からは一線を画していた。

つまりは、かなり早くからイスラエルが主張していたシファ病院の地下の壮大な基地というのは幻想か、あるいはイスラエルが創作して、アメリカがお墨付きを与えたものではないかとの疑惑が生まれていたということだ。そして、それはすべてが否定されてしまったわけではないが、イスラエルアメリカの主張があまりにも大げさだったために、いまや報道の価値があるのかも疑問視されているのである。


では、これからどうなるのか。英経済紙フィナンシャルタイムズの国際政治コラムニスト、ギデオン・ラックマンは同紙11月20日付に「イスラエルオッペンハイマー、そして戦争法」とのエッセイを寄せている。さまざまな論点をまとめながら、結局、「シファ病院とガザ地区の光景は、世界世論に大きなショックを与えている。たとえイスラエル国際法の専門家にイスラエルの行動は合法である、といってもらうことに成功したとしても、多くの観察者はイスラエルが不道徳的だと信じ続けるだろう」。

しかし、こうしたラックマンの断言口調は、やや性急な感じもする。なぜなら、いまに至るまで、最初の段階で主張したシファ病院の地下にある壮大なハマスの基地は掘り出されていないし、いかがわしい国際法学者のみが合法と断じることができるにすぎない。ということは合法だということと、そうであっても道徳的ではないという議論は、いまのところ立てようがないのだ。


さらに、ラックマンは性急にこれからの「歴史」に逃げ込んでいるように思われる。彼は病院への攻撃を可能にする条件である「病院内での爆発物の使用」という条項を、削除してしまうほうがよいと主張している戦時国際法の専門家におおむね賛成している。「もし、そうしたことが起こったとすれば、ガザ地区での悲劇から何らかの継続的な善が生まれるかもしれない」と述べているが、必ずしもそうはならないだろう。それでは単に細かい事項を議論できなくなるだけで、何かが解決したことにならない。

そもそも、ラックマンが当然のように論じている道徳と法理との関係は、かならずしも正しくない。法哲学のいくつかの論争のなかで、とびぬけて興味深いものがある。それは法律と道徳とはどこまで重なり、どこまで異なるかというものだ。多くの人たちは漠然と「道徳が進化して法律になった」などと考えがちである。しかし、必ずしもそうではない。法律にも独自の領域があり、努力目標にとどめる条項もある。また、道徳にも独自の領域があって、法律化しないほうがよいものもあるからだ。ラックマンの議論は道徳から法律が生まれるという仮説でしかないものを、当然の法則のように取り扱ってしまっている。

戦争はこの世からいつかは消えると信じる人は、ラックマンのいうような夢を見るだろう。しかし、戦争はいつになってもこの世からなくならないだろうと現実を正視する者は、この領域の要素はやはり大きく、法律に解消されることはないと分かっている。とはいえ、まずはできることをやってみる必要がある。何より証拠の提示が必要だ。アメリカを背景にした証拠にならない証拠ではどうしようもない。そして、戦時法規(国際人道法)の正確な適用も試みることが必要だ。つまり、道徳や人間の進歩に逃げる前にやるべきことがあるということだ。しかしイスラエルアメリカも、政治的解決に傾斜してしまい、すでにこのまっとうな道からは離れているし、戻る気などないのである。