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東谷暁による「事件」に対する解釈論

中国はなぜ経済回復できないのか;「情報」と「信頼」の適切な位置づけが欠落している

巨大な不動産バブルを崩壊させ、さらにはコロナ禍を粗雑な方法で通過したことで、中国経済はいまも回復することなく低迷している。しかし、この停滞はバブル崩壊やコロナ禍の後遺症というよりも、中国政府の情報と信頼についての間違った考え方が災いしているのではないかとの説が唱えられるようになってきた。それはまさに、ソ連を崩壊させたエリートによる情報の独占や改竄という、支配の道具としての見方である。


経済誌ジ・エコノミスト9月7日号の特集は「3D的視野から見た中国経済」だった。同誌は以前にも経済的視点だけでなく、社会的視点からいまの経済停滞を見直す記事を掲載したことがあるが、こんどは特集としてさまざまな方向から分析してみせている。その中心となるキーワードは「情報」と「信頼」である。簡単にいえば、経済における情報の評価を誤ったことによって、国民の信頼を回復できずに危機的状態にあるというわけだ。

「中国の巨大な経済は、同じく巨大な信頼の危機に陥っている。正確な情報の欠落が加速されることで、まさに状況はますます悪くなっているのだ。中国は不動産バブル崩壊と格闘を余儀なくされており、また、サービス・セクターは8月にはさらに一段階低迷を深め、消費者も購買意欲を失っている。多国籍企業が中国から資金を引き揚げるスピードは記録的で、海外の中国ウォッチャーたちは彼らのGDP成長率予想の数値を減らしつつある」(同誌「中国経済にとって間違った情報は脅威になっている」より)


その最大の理由は何かといえば、「たしかに、建設中止になった住宅の不良債務などの不動産問題はあるが、中国を取り巻く情報についての信頼が失われていることがより大きいのである」。中国政府は経済データを操作しており、微妙な事実を隠蔽し、そして経済についての幻想をばらまいていると信じられるようになっている、と同誌は述べている。「まさにかつてのソ連がそうだったように、自由でもなければ効率的でもない、独裁制のひとつの例になる危険を犯している」。

では、ここで指摘されている政府による情報の操作や隠蔽にはどんなものがあるのだろうか。たとえば、若い労働者の失業率は大きな問題となっているのに、「改善しており適性化されている」と述べてごまかし、数値も低く書き換えている。国際収支統計はあまりにいいかげんなのでアメリ財務省は困惑するほどだ。この8月19日には突然株式市場の取引を停止させている。「経済にかんする数値が不明瞭なので、民間部門は適切な判断が不可能になり、もちろん公共部門もたぶん同じことだろう」。

関税統計と国際収支統計との大きな乖離は最近の出来事である


ここに登場する国際収支統計については、同誌の別の記事「中国当局は経済の状態を隠蔽している」のなかでグラフにして分析している。これまでジ・エコノミストだけでなく、他の経済紙なども、中国の経済統計が疑わしいと思われていたので、比較的現実を反映する関税統計をもとに貿易収支を推定して、そこからGDPなどを推計する方法をとってきた。いまや関税統計と国際収支統計との数値があまりにも開いて、中国当局の発表する数値がほとんど信頼できないレベルに来ていることを示唆している。

不動産バブルの崩壊やコロナ禍以前には、関税統計からの推計と中国統計との間が縮小して、かなりの信頼が生まれていたが、この数年の間になぜここまで開きが大きくなったのだろうか。それはもちろん中国当局が自国経済の実態を晒すことを忌避しているからだが、なぜそんなことをするのか。それは実に単純なことで、習近平体制の中国が経済において悲惨な状況になっているとは、対外的にも対内的にも認めたくないし、認めた高官は更迭されるからである。

若い労働者層の失業率は45%に達したとの情報は当局によって削除された


中国経済が破竹の勢いで伸びているときは、もちろん、中国は経済データを誇らしげに公表してきたし、また、その正確さも高まっていた。その姿勢が中国経済に対する世界からの信頼を生み出して、中国国内への海外からの投資ブームを生み出したわけである。ところが、いまやそれは過去のものとなっただけでなく、中国当局は、さらなる情報の操作と隠蔽を、徹底的に進めることだけを考えているように見える、と同誌は指摘している。

これまでも中国は「内参(neican)」と呼ばれるシステムで、国内の情報を収集し監視してきた。そのデータベースにはジャーナリストや役人たちが書いた、プライベートなレポートが集積されている。たとえば、天安門事件のさなかにおいても、政府の指導者たちは事件にかかわる最新情報を得ることができた。いまや中国当局の情報収集に参加している人たちは、ビッグデータやAIがこのシステムをさらに進化させて、ハイテクの「パノプティコン」(英哲学者ベンサムが考案した囚人監視施設)を、最高指導者のために作ることができると考えているという。

消費者信頼指数はこの3年で楽観から悲観へと急落した


もし、そんなものが完成されれば(おそらく、今もかなりの規模で個人情報の収集は行われていると思われるが)、ソ連が試みて結局は失敗した「ビッグ・ブラザー」(と呼んだのはジョージ・オーエルだが)のハイテク版が生まれることになる。それは人民支配・抑圧には力を振るうかもしれないが、ますます、情報の自由な流通を前提とした経済からは遠ざかり、中国の経済回復はさらに難しくなると同誌は憂慮している。

「中国の称賛者は、この国の政策決定者たちが経済を操縦するために必要な情報をいまも手にしているのだと反論するかもしれない。しかし、習近平が見ているデータやレポートがどんなものであるのか、実は誰も知らない。データと国民の行動とが切り離されれば、情報の流れは歪んだものになり、誰もそれを参考にしようとはしなくなる」


同誌は最後の部分で、ソ連をはじめとする独裁制の国家の経験によって、人びとは自由な情報の流れが政策決定を可能にし、大きな失敗の危険性を低くして社会の進歩をより可能にしてきたが、もし、いまの中国のような情報の操作と隠蔽がはびこれば、そうした人類の経験が無にされてしまうだろうと憂慮している。「中国は大きな可能性を持っているが、しかし、いま巨大な問題に直面している。充分に情報をもった市民、民間部門、そして公共部門だけが、未来への挑戦によりよく備えることができるのである」。

こうしたジ・エコノミストの指摘を読んで、市民や民間部門が情報をもっても、それを大衆社会のなかで私利私欲のために使う限り、未来への挑戦そのものが歪んでしまうという人がいるかもしれない。それはそうかもしれない。しかし、最近の論調においては、20世紀における悲惨だった経験である社会主義にたいして、奇妙に寛容なものが多くなっている。それはマルクス主義の延長線上にあるらしい「ポスト資本主義」でも、いくらでも財政支出できる「新しい社会主義」でも共通しているように思える。

 

製造業およびサービス業の双方において見通しは暗い


それは、現在の情報の乱用や大衆社会の無責任に対する批判から出てきたために、いまとは異なる社会や経済を発想することが、そのままよりよい社会と経済に結びつくと錯覚しているのではないかとの疑いを私は持っている。しかし、「違うものを思いつくのは容易だ。その質を真剣に問わないのならば」。歴史はそれほど単純なものではないし、社会や経済がちょっとした思い付きや新しいコンセプトだけで、好ましい方向に変わるわけではない。その意味で、中国ならびにソ連の経済を、情報と信頼から捉え直すことは、決して無意味ではないと思う。