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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ポスト・コロナ社会はどうなる(5)封じ込めの「空気」がオーバーシュートするとき

たとえ悲観論を多く集めても、いくらなんでも長期的に、いまの状態が続くことはないと予測するのが普通である。しかし、早々と新型コロナウイルスの封鎖から脱出したはずの中国経済が、思ったより大きなリバウンドを見せない。いい気味だと感じる人もいるかもしれないが、これはいったい何故なのか、その理由を考えておいたほうがよさそうだ。

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 英経済誌『ジ・エコノミスト』4月30日号は、「90%経済;ロックダウン後の生活」との社説を掲げ、ロックダウンからの立ち上がりが遅い中国経済を中心に、「ポスト・コロナ経済」について、さまざまな視点から「なぜ立ち上がりが遅いのか」を分析している。

世界中の国々のGDP下落率は、多いところもあれば、すくないところもあるが、だいたい10%の下落。ということは、いまの経済は数字的には90%経済なのである。 「ものごとにおいて、90%なんとかなったといえば、素晴らしいことだろう。しかし経済においては悲惨なことなのだ。それは何故かを中国が教えてくれる」。

 新型コロナ騒動以後は、中国情報への信頼度はますます下落したが、海外マスコミや研究機関が調査した数字を用いているので、日本を初めとする先進諸国にとって「ロックダウン後」に待ち構えている、回復の障害について考えるには大いに参考になる。

 まず、同誌が掲げているグラフで、中国経済のいくつかの分野での立ち直り具合を見てみよう。主要な港における物流はいったんかなり落ちたが、いまは1月の水準を超える回復ぶりだ。しかし、消費者の買い物に出かける度合いは、少しは回復したものの、いまだに50%程度である。

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また、ホテルの部屋の埋まり具合も、なんとか50%は超えたものの、とてもじゃないが回復したとはいえない。とくに悲惨なのは航空機の乗客で、なんと20数%くらいで横ばい状態なのである。これで連想するのは、アメリカの投資家バフェットの会社が第1四半期で5兆円もの赤字を出して、そのさいに航空会社の株式をあらかた売却してしまったことだ。バフェットは、新型コロナの蔓延で将来的にも航空会社はだめだと判断したという。

 さて、中国に戻るが、『ジ・エコノミスト』はこうした分野の惨状だけでなく、いくつかの業界での停滞ぶりを伝えている。新型コロナの蔓延で自動車を買いたいと思うようになった人は増えているが、いまのところ実際に買う人が急増したというデータはない。では、地下鉄の状態はどうかといえば、昨年と比較して利用は3分の1に落ちている。3月末のデータでみると、中国人の44%の人が収入源で悩んでいる。

 同誌によれば、こうした「立ち上がりの遅さ」はとりあえず3つの原因が考えられるという。同誌から引用しておこう。「90%経済は次の3つの中心的な経路でパンデミック以前の状態から転落する。ひとつはより脆弱性(フラジャイル)が増すこと。ふたつめは革新性(イノバティブ)が低下すること。そしてみっつめが不公平(アンフェア)である」。

 このうち「脆弱性」は見通しが立たないための不確実性から生まれる。不確実な状態ではさまざまな経済ルールも不安定になる。こうした事態においての投資が低下するのは当然だろう。また、企業における「革新性」は、実は密接なコミュニケーションから生まれる。それはテレワークや隔離された仕事環境からは出てこないのだという。

 さらに、「不公平」というのは業種によって新型コロナの影響が違いすぎることである。今回、もっとも多くの解雇を生み出したのは、人材産業であるレジャーやホスピタリティの分野だった。この不整合性は労働市場のゆがみや、経済拡大のさいの不均衡を生み出し、回復を遅らせる要因となる。

 こうした経済構造における不確かさは、新型コロナウイルスのワクチンが完成すれば取り去られるかもしれない。「しかし、それには少なくとも12か月かかるといわれており、しかもその数値自体が不確かである。2か月もあれば新しい習慣が生まれるというコトワザが正しければ、再生する経済は基本的に違ったものになってしまうだろう」。

 ポスト・コロナ社会の性格を考えるには、こうした経済的な側面だけでなく、社会心理的な要素についての目配りも必要だろう。『ジ・エコノミスト』も中国以外のスウェーデンデンマークの事例も加えて、「政府の選択よりも個人の選択のほうが、経済の落ち込みのさいの大きなファクターである。しかも、個人の選択の回復は、政府の選択の回復よりも困難である」と述べている。そして、この「個人の選択」は、危機の時代に特有の不安定な社会心理に左右される。

日本やアメリカでは、新型コロナ肺炎の流行で、スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』が再び言及されるようになった。これは哲学的エッセイなのだが、病気をとりまく社会心理を論じているので、ざっと見てみることにしよう。ソンタグは差別や弾圧の対象となる病気が歴史に次々と登場してきたと述べている。

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たとえば、ペスト、ハンセン氏病、肺炎、癌、そしてAIDSであり、こうした病気の場合には「スティグマ化」されるという。このスティグマという言葉は、もともとはギリシャ人が奴隷の額につけた傷痕のことだが、社会学者のアーヴィング・ゴッフマンが社会的役割論のなかで、差別や弾圧の対象となる肉体的特徴や社会的身分に適用したことで、現代社会の差別や封じ込めを論じるさいにも使われるようになった。

 「われわれはスティグマの理論、すなわち対象となる者の劣性、ならびに彼が象徴している危険を説明するイデオロギーを考案し、さらには他の差異(たとえば社会階層)に根ざす敵意を正当化しようとするのである。われわれは日常の会話の中で、隠喩とか連想の泉として、クリプル、バスタード、モロンなどの特定のスティグマを表す言葉を、一般にその本来の意味を考えもしないで用いている」(ゴッフマン『スティグマ社会学』石黒毅訳 一部表記変えています)

 ソンタグの「隠喩としての病」を再論する人たちは、今度の「新型コロナウイルス肺炎」はスティグマ化される危険があると述べて警告を発している。たしかに、緊急事態宣言が発せられてからの事件を見ていると、「病気としての意味を超えて」リンチ的な差別と弾圧の対象とされる傾向もないわけではない。もし、そうした差別や弾圧が横行する社会となれば、個人の心理を不安定にするだろう。しかし、それがスティグマ化されて長期的な「習慣」にまで定着してしまうかは、まだわからない。

 もうひとつ、こうした社会心理的な傾向で注意しておきたいのは、新型コロナ蔓延が生み出す過度な潔癖性や過激な改革神話がオーバーシュートすることである。危機の時代においては、平時ならばとてもまともと思えないような政治的選択がもてはやされる。

わたしは、『ジ・エコノミスト』が憂慮しているようなイノバティブではないテレワークが広まって、日本経済の生産性を下落させるのは、新型コロナ騒動がよほど長期になったときのことだと思う。また、ソンタグが示唆するように特定の病(今回は新型コロナ肺炎)がスティグマ化して、差別や弾圧が社会に定着してしまい、社会にさらなる緊張を生み出してしまうという事態は、いまのところ、おそらく回避できると思う。

f:id:HatsugenToday:20200504163643g:plain (NHKホームページ)

 しかし、もうひとつの危険は大いにあると考えている。つまり、この停滞したムードつまり「空気」に、「実際の影響を超えた」解釈や意味が与えられて、「不要不急」な改革や実験が行われたり、逆に沈滞を「正当化」して復興のチャンスを逃す危険性は存在すると思う。これらは、最近の「東日本大震災後」にも見られた。詳細は稿を改めたいが、簡単に述べておこう。

上に挙げたグラフが示しているように、阪神・淡路大震災からの復興は比較的速く行われ、しかも、被災地での評価も高いのに、東日本大震災での復興は遅々として進まず、不満も多く残った。もちろん、これは地震の規模や津波の有無という条件が、大きな違いを生み出しているのだが、それだけではなかった。

阪神・淡路大震災では下河辺淳という、かつて「開発天皇」と呼ばれた元国土庁事務次官が復興委員長を務め、本人の言葉によれば「まったく超法規的にやった」といわれる。いわば、高度成長期の流儀で巨額の資金を集中的に投入し、かなりの速度で実行した。もちろん、その後、いろいろ批判はあったが、復興の速度という点からいえば、この古いやり方が正解だったのだ。

これに対して東日本大震災からの復興では、被災地の意見を聞くという姿勢を重視したことが、実行のペースを落としてしまった。さらに、東京オリンピックの話が出てくると土木関係の労賃や資材が高騰して、ますます復興は停滞することになる。しかも、被災当時の政権党であった民主党は、財政改革に固執したため復興資金を増税でまかない、スピード感のある資金投入ができなかった。

このとき、民主党菅直人首相は「不況のさいに税金を取っても、それを支出すれば雇用を生み出す」という考え方の経済学を(かなり誤解して)信奉していた。次の野田佳彦首相にいたっては財政改革論者であるだけでなく、「無税国家」という松下塾特有の幻想的理論の信奉者だったので、自分の矛盾だけを気にしていた。一気に財政支出して被災地を復興させるという考え方などは、最初から分からなかった。

現実のなかで実行してみるというテストを受けていない「新しい経済学」を、危機のさいに採用するということが、いかに危険であるか。それを、民主党政権はきわめて高い授業料を払って(もちろん国民が払わされたのだが)実践して、そして失敗してくれたのである。

 

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