今回は世界の経済がどうなっていくかを見てみよう。ポスト・コロナ社会にあっては、当面は貿易が縮小するから、デフレになると予想する人たちは多い。しかし、需要がないために経済が萎縮するわけではない。サプライチェーンが寸断されるから萎縮するのであって、このときは供給が落ち込むのでインフレになっておかしくない。
新型コロナウイルスが登場してくる前の状態がどうだったか思い出してみよう。米中経済戦争が小康状態になったといわれたが、しかし、米中の貿易は縮小して、それが他の国にも大きな影を落としていた。日本の2019年の第4四半期の落ち込みを、安倍首相の間抜けな消費税増税だけのせいにするには、やや落ち込みが大きすぎただろう。
そして、この米中対立の構図はいまも解消されていないし、ポスト・コロナ社会においても継続すると考えたほうがよい。新型コロナから脱却しつつあると伝えられる中国が「独り勝ち」になると焦っている向きもあるようだ。しかし、そもそも米中経済戦争がなぜ世界の経済を縮小させたかを考えれば、一方だけが新型コロナから抜け出したところで、「独り勝ち」できるはずもないのだ。だいたい中国の情報が信用できるかどうかも分からないではないか。
では、現在の世界経済がどのような状態にあるかを見てみよう。危機に直面して、世界の国々が協力しあって、この難局を乗り切ろうとしているだろうか。冷静かつ冷酷に眺めれば事態はまったく逆である。どの国が世界に連帯を呼びかけているだろうか。驚くべきことに、まったく存在しないのだ。
激しい新型コロナの蔓延によって、貿易が急激に縮小しただけではない。そこでは、目をそむけたくなるような、自国本位の行動が露骨になっている。麗しい世界宥和の理念からすれば、こんなときこそ少ないものを分け合ってもいいようなものだが、そんなことはまったく起こらない。
日本経済新聞電子版より
コロナ蔓延のなかにあっては、むしろ、トランプ大統領と同じような保護主義に走る政府のほうが多くなる。『フォーリン・アフェアズ』4月28日号でピーターソン国際経済研究所のチャド・ボウンが次のように述べている。「保護主義は伝染しやすいのだ。英国、韓国、ブラジル、インド、トルコ、ロシア、そして何十もの国々が貿易制限に走っている」。
世界が危機に瀕したとなると、いつものようにウルリッヒ・ベックの『リジコ・ゲセルシャフト(危険社会)』を引用して、危機のときこそ連帯すべきだと論じる者は多い。つまり、1986年のチェルノブイリ原発事故のように、世界は逃れることのできない危険に直面したのであり、国々は連帯してこの危険を乗り越えるべきというわけだ。
チェルノブイリ原発事故は、報道の自由がない体制は危険きわまりないという認識が世界共通のものとなって、それが旧ソ連の崩壊につながったということになっている。しかし、その後、しばらくの間、ロシアは政治的にも経済的にも「収奪」の対象となった。その反動がウクライナ紛争であり、またクリミヤ侵攻だった。
それは、日本の福島第一原発事故のさいも同じようなものだった。たしかに、「ともだち作戦」とかを展開した大国もあったが、調査を口実に他国の領海をわがもの顔で威嚇航行したあげく、いよいよ原発のメルトダウンが予想されるや、そそくさと総退避を準備したものだった。
その後もこの国は事故の中心的データを、原発を製造したのが自国の企業だったことを口実に、自国に持ち帰ったといわれる。また、まったく危険がないのに、当てつけのように日本の食品輸入を禁止した近隣国もあった。リジコ・ゲゼルシャフト論はただの幻想であり、危機にさいしては、むしろ国家のエゴがむき出しになることのほうが多いのだ。
経済の話に戻ろう。こうした利害が露わになる「ゲファール・ヴェルト(恐怖世界)」においては、これまで構築されてきた国境を超えるサプライチェーン寸断は、十分に修復されない可能性が高い。もちろん、それが永遠だというのではない。ふたたび世界の覇権を握る超大国が登場して、警察国家としての役割を担うようになれば、グローバルなサプライチェーンは再構築されるかもしれない。また多極化して、かなりの国際的信頼関係が生まれてもある程度回復するだろう。しかし、これから2年先、あるいは5年先にそうなるとはとても思えない。
これは需要側の問題というよりも供給側の問題だから、インフレの傾向を助長することになる。いまの世界中の消費者の意識からすれば、まだまだ消費意欲はあるのに、供給が追い付いていかないのである。供給力の減退は世界の経済が変調することによって生まれる現象である。
さて、すでに第3回で述べたように、ポスト・コロナ社会は国内的には「戦後」経済を基調としている。「廃墟」と「財政赤字」を抱えているのだから、インフレ基調の経済になるとも述べた。これは国際経済の変調によって生まれる世界的インフレ傾向と合致する。ただし、国際的には「やむを得ず」そうなるのに対して、国内的には「むしろ好ましい」と考える人たちが多くなることから生じる転換である。
こうした国際的かつ国内的な転換が、何の摩擦もなく起こるとは思えない。しかし、そこには、いまの新型コロナ蔓延という物理的な圧力があることを考えれば、けっして幻想のたぐいではないことが明らかだろう。世界はじわじわと、この渦巻きに吸い寄せられつつある。
●こちらもご覧ください
コロナ恐慌からの脱出(1)いまこそパニックの歴史に目を向けよう
コロナ恐慌からの脱出(4)パンデミックと戦争がもたらしたもの
ポスト・コロナ社会はどうなる(1)仕事と娯楽の「あり方」は大きく変わらない
ポスト・コロナ社会はどうなる(2)テレワークのデータを見直す
ポスト・コロナ社会はどうなる(3)世界を「戦後」経済がまっている
ポスト・コロナ社会はどうなる(4)貿易も安心もなかなか元に戻らない
ポスト・コロナ社会はどうなる(5)封じ込めの「空気」がオーバーシュートするとき
流言蜚語が「歴史」をつくる;いま情報には冷たく接してちょうどいい
複合エピデミックには間口の広い戦略が有効だ;新型コロナとバブル崩壊との闘い