この問題について、いまさらあれこれ安倍政権に苦言を呈したところで、安倍首相はいたくもかゆくもないだろう。さすがに、この8月25日にフランスのビアリッツで、得意満面のトランプ大統領にひきまわされて記者会見したときには、浮かない顔をしていたが、これだってトランプのパフォーマンスに付き合わされたことへの不満でしかないのではないか。
そもそもの悲惨はTPPに参加を決めたことから生じている。こんどの日米FTA(日本政府は勝手にTAG:物品貿易協定と呼んでいる)が、ほとんどアメリカの思い通りに進んだのも当然なのである。トランプは大統領選をひかえて、前回の選挙で大逆転を演じたラストベルトの諸州が危うくなっているので、ここでテコ入れをするにはまたとない機会だった。
このラストベルトと呼ばれる諸州とはインディアナ、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシンなどからなり、かつては自動車などの製造業が集積していた地域である。それが脱工業化が進むことで、雇用が失われて都市が荒廃していった。「錆(ラスト)」が広がったのである。ここの有権者たちは民主党系が多いとされていたのに、前回の大統領選ではヒラリーからトランプに期待を移す人たちが急増し、最後は僅差でトランプに勝利をもたらしたわけである。
ところが、トランプの時代になっても、思ったほど雇用が増えたわけではなく、明るい話題も自分たちには関係ないものが多いと感じた有権者は、この間の中間選挙では民主党支持に戻ってしまい、このままではトランプの再選が危うくなるのではないかと予想されている。ここで日本側が要求していた自動車の関税撤廃をけっとばして、さらには、トウモロコシの輸入増加を無理やり安倍に約束させたのだから、トランプの意気が上がらないわけはないのである。このラストベルトは、実は、トウモロコシを栽培しているコーンベルトでもあるのだ。
しかし、それにしても安倍首相というのは、不思議な日本国総理大臣である。日本に不利だと分かっているはずのTPPにやたらと前のめりになって参加を決め、さんざん苛められながら批准にまで追い詰められ、せっかくトランプが国内を煽るためにTPPを脱退してくれたのに、わざわざTPP11などという受け皿をつくって、トランプ様がご帰還あそばすのをお待ち申し上げてきたわけである。
その結果が、TPPへのご帰還ではなく日米FTAなのだから、日本の悲願であった自動車関税の撤廃が認めてもらえなかったのは当然ではないか。農産物については、茂木担当相がTPP並みを維持したなどといっているが、TPP並みが苦しい妥協のレベルだったことを思い出せば、維持しかできないのは敗北に他ならない。すでに日本はTPP11を「主導」している立場上、それに抵抗すらできなかったのである。
面白いのは、TPPに反対して日米FTAに懸念を表明してきた人たちが「これはひどい」と批判するのは当然だが、TPPを推進するのに血道をあげてきた支持者のなかに「こんな日米FTAはいらない」などと憤慨している人がいることである。この人物は、理をもって諭せばトランプも分かってくれると思っていたらしいのである。
もうすでに、アメリカの農業団体は動きはじめていて、こんなに従順な日本ならば、これまで遠慮していたものも、ここで一気に押し込むことができるのではないかと思い始めている。トウモロコシだって日本は「国内に害虫がひろがっているのでトウモロコシを輸入増加することにしました」などという嘘に近い話を国民に向かってしてくれる総理大臣がいるのだから、俺たちはもっと多くを望んでいいのだと思うに決まっている。
この9月下旬には、この日米FTAが本決まりになるそうだが、それまでにアメリカ側がもっと要求してくることもあるだろうし、アメリカの経済外交につきものの「交渉継続」がたっぷりと上乗せされることは必至である。
そもそも、この日程では、アメリカの強い圧力によって、日本は身動きできない状況に追い込まれるのは目に見えている。というのは、米中貿易協議が10月に先送りされたが、アメリカとしては、日米FTAなんか軽くこなせると思ってはいるものの、ここで日米の親密さ(あるいはアメリカの日本に対する支配力)を見せつけるのは無駄ではないと考えるのは当然だからだ。
TPPから日米FTAへのみじめな敗北ロードは、当然、日本人なら覚えているかと思っていたのだが、若い人と話をしているとどうもピンとこないらしい。考えてみると、2010年10月に、当時の菅直人首相が突然に国会で「日本はTPPに入ります」と宣言し、細目を質問されても答えられないという事件が起こってから、すでに9年になろうとしているのである。
そこで、やはりそもそもの話をもう一度やっておくべきだと思うようになり、おくればせながら「コモドンの空飛ぶ書斎」で「TPPの現在」という短期連載を何回かすることにした。もう、あいまいになってしまった争点や、実は、後に明らかになったことなどを含めて、振り返ってみようと思っている。
このブログでも、しばらくTPPについて触れたいと思う。日米FTAに至る安倍政権の情けなさは、顔をそむけたくなる類のものだが、やはり思いだしておく必要があるだろう。
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