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東谷暁による「事件」に対する解釈論

上海がついにロックダウンに突入した;見えてきた中国の「ゼロ・コロナ」の終わり

中国の上海はついにロックダウンに突入した。ほんの数週間前まで、2600万人の上海はロックダウンしないだろうとの見方が強かった。しかも、街を2つに分けて交代で封鎖するという、かなり変則的な方法を採用している。これで中国政府も「ゼロ・コロナ」を止めるとの観測も強くなっているが、その時期はいつなのか。

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FT.comより:上海を2分割して2段構えでロックダウンする


まず、感染者数から見てみよう。中国の場合、当局が行なう厳しい処置にたいして、数値が常に少ない印象を与えるのだが、その傾向はかろうじて読める。今回の場合は、3月28日に新規感染者が4477人と発表になり、これは香港の合計で約100万人という極端な例外を除けば、最大の規模を記録したことになるが、そのうち無症状が4381人と、症状が出ていない陽性者が圧倒的な割合をしめている。

この最大規模の感染に対して、中国当局が打ち出した方法が、2分割2段階のロックダウンで、上海の南部から東部にかけての浦東を中心にした約900万人を3月29日から4月1日まで、北部から西部にかけての浦西を中心にした約1600万人を4月1日から5日までロックダウンするという計画である。ロックダウンにしては短いと感じるが、その目的が、住民全体の強制検査を実行することだと聞けば、そんなものだろうとも思う。

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今回の変則的ロックダウンでは、上海の物価が急騰したので、メディアはこの点を強調して報じている。たとえば、フィナンシャルタイムズ紙3月28日付は「上海の交代型コロナ・ロックダウンは、銀行家や野菜購買者を打ちのめす」との記事は、浦東の金融機関関係者が泊まり込みのために右往左往する様子や、ロックダウン直前になってストアに野菜を買いに殺到した消費者の慌てぶりを報じている。

数値をあげておくと、上海と深圳の株価指標であるCSIインデックスは、3月28日の午前中には2%の下落ですんだが、すでに今年になってから約16%の下落をしており、すでにこのロックダウンは織り込み済みだったのかもしれない。いっぽう、上海のストアでのキャベツの値段は、普段は4元だったものが16元と4倍に高騰し、野菜全体でも3倍に急上昇している。

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地元の人はたまらないだろうが、われわれからすれば、もっと全体的な影響が気になるわけで、まず、ブルームバーグによれば、中国の港湾で待機している輸送船は2月に比べて2倍に達している。また、上海だけでみても、たとえばテスラの工場が3月28日から生産中止に入ったとの情報がある。こうした現象は広がりを見せており、世界のサプライチェーンをさらに緊迫させるものと思われる。おそらく、中国政府が目標としている年率5.5%の経済成長率は無理だとの見方が強まっている。

では、これで中国政府の「ゼロ・コロナ」政策が終わりになるのかといえば、必ずしもそうではない。香港の例をみれば悲惨な状態だが、これはあくまで例外的であり、「ここまでのところ、中国のコロナ政策は成功している」というのが、共産党幹部の共通の認識(つまりタテマエ)なのである。それというのも、今年秋には5年ごとに開催される中国共産党大会が予定されており、この大会において習近平は、3期目の総書記に選出されることになっているので、コロナ対策は失敗でしたというわけにはいかない。

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では、ゼロ・コロナは永遠に続くのかといえば、そうではないだろう。フィナンシャルタイムズ紙3月28日付の「上海は当局がコロナを閉じ込めるためロックダウンで分割される」という記事のなかで、中国経済リサーチ会社のトップが、かなり微妙な答え方をしている。

「当面、中国当局はゼロ・コロナ政策にこだわると思われます」と答えながら、彼は次のように付け加えている。「サプライチェーンのショックを最小限にしても、感染爆発は将来の予想を不安定にして、中国の成長に大きな影響を与える。中国共産党の幹部も言っているように、封じ込め政策は感染を阻止できるからこそ採用されているわけですからね」。

少なくとも秋の中国共産党大会までは、いまの「ゼロ・コロナ」はうまくいっているとされるのだろう。しかし、「当面は」実質的に処置を変えたとしても、習近平の3回目の総書記就任までは(タテマエは)変わらない。そのの後は、だれが責任を取ることになるのかはともかく(あるいは誰もとらずにすむようにして)、「新しい段階」へと向かうことが考えられる。