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東谷暁による「事件」に対する解釈論

安倍晋三がキックバック廃止で狙ったこと;裏金問題を権力の闘争として見直す

自民党旧安倍派による裏金の解明とかは、おそらく曖昧なままで終わるだろう。それよりも私の頭の中を占めたのは「キックバックが廃止されていたら、どうなっていたか」である。そもそも、なぜ安倍晋三会長が「やめよう」と言い出したのだろうか。潔癖な人だったから? とんでもない。そんな人が、祖父から引き継いだ旧統一教会とのコネを使って、議員たちへの影響力の拡大を謀ったりしただろうか。


問題の核心は誰がこのキックバックの仕組みを再開させようとしたのかにはない。なぜ、安倍晋三が会長になってから、突然、キックバックをやめようと言い出したのかである。キックバックをやめるとどうなるか。これまで還流していた資金は清和政策研究会に残る。清和会の資金の使い道を決める(影響力を行使できる)人物は誰かといえば、いうまでもなく会長である安倍晋三その人なのである。

もちろん、政治家たちはキックバックがないとなれば、政治資金パーティをそれまでのように頑張らなくなるかもしれない。しかし、清和会としての資金量は変わらないし、それでもなお資金パーティで頑張った者には、資金融通で優遇すればいいのだ。もし、より多くの政治資金を必要とするなら、ノルマを増額させればいい。肝心なのは会長がコントロールできる資金の維持あるいは増大であって、それは首相を辞めてからも派閥を支配し、2度目の首相復帰を考えていた者には、不可欠の戦略だったろう。


なかには、「安倍さんは、不透明だからやめるべきだ」と言ったのだから、あくまで政治資金の流れを明瞭にしたかっただけだと指摘する人がいるかもしれない。それはあるだろうが、あくまで二次的であり、耳朶に心地のよい制度変更のスローガンにすぎない。そもそも、それでは安倍晋三という政治家の過小評価だろう。会長としてはリスクのある制度から、自分の権力にとって安全で有利な制度への移行というのが課題の中心で、自分のまだ残っている政治パワーからして、幹部たちは従うだろうと判断していたと思われる。(事実、彼らは新しい会長を決めることもできない烏合の衆だった)

もし、安倍晋三が清和会の会計の明瞭化を考えていたとすれば、なぜ、首相をやっているときに細田前会長に制度の改変を要求しなかったのだろうか。それはおそらく細田の派閥内の存在感が上がることを望んでいなかったからで、さらには、細田に対してではなく森喜朗に対して遠慮があったからだと思われる。しかし、いったん自分が会長になったからには、実態が暴露されたときマスコミの攻撃が想定される裏金システムをやめて、自分に資金力アップのチャンスを与える仕組みに変えようとするのは自然だろう。


報道の中には、安倍は会長になって初めてキックバックの実態を掴んだとしているものがあるが、自民党総裁であり全部で10年も首相を務めた人物が、この肝心の自派の資金の仕組みを把握していないということのほうが、あまりに不自然だろう。自分の権力維持の肝心な部分なのである。キックバック分も召し上げて、さらに忠誠心を要求する仕組みへの変更は、最長政権を維持したという実績のある自分ならできると思ったのだろうし、そして事実、実現していた。

だからこそ、幹部たちはまだパワーのある安倍にいやいやながら同意したが、安倍が死去すると待っていたかのように元に戻したのである。そこには道義的な葛藤や政治家としての矜持がはたらく余地もなかった。ただ、自分たちや同派閥の政治家たちが自由にできる資金の確保が問題だったのだ。幹部の誰も痛痒を感じることなくキックバックの再開を決めて、「やれやれ」とみんなで安堵したのだろうと思われる。

 

これはもちろん仮説である。しかし、安倍晋三に対する中傷だと思ってもらってはこまる。むしろ、ある意味で感嘆あるいは驚嘆なのだ。私は安倍氏が最初に首相を退いた時期に行われていた勉強会に出席していた。正直いって退屈な会だったが、得るものがなかったわけではない。何をいっても「そうですね」を繰り返す安倍氏が、ごくたまに「そうですか?」と言うときがあり、そこらへんにホンネがありそうだと推測できた。

もうひとつ、記憶に強く残っているのは、政治の非合理性や不道徳性に触れるさい、「政治というのはそういうものなんです」と、例の舌足らずの発音で言うことだった。当時はまだ体調が悪く、土気色の顔をして無表情で言うのに対しては、「政治は悪魔と握手することがある」という、ありふれた格言と同じではないかと思いつつも、彼の家系が輩出した政治家たちを思い浮かべると、やはり身体的に馴染んだ認識なのかもしれないと思った。


マスコミは旧安倍派幹部の道義的責任を告発することにやっきだが、すでに検察が立件しないことを決めてしまっている段階で、ほとんど何の新しい証拠もなしに追及したところで、元幹部が選挙で多少苦戦する程度の影響しかない。むしろ、安倍晋三という政治家が理念を掲げるいっぽうで、どこまで非合理性や不道徳性を当然のように受け入れていたかを考えてみたほうが、今後の日本政治に有益かもしれない。安倍さん、あなたはキックバック廃止を自分のためやったのではありませんかと問えば、彼は答えるかもしれない。「政治というのはそういうものなんです」。

【付記:4月5日】付け加えることはとくにないが、なさけないと思うのは、ここまで岸田にやられても安倍派の有力者たちは何もできなかったことである。結局、彼らは小泉純一郎が台頭したときには小泉に接近し、安倍晋三が政権をとったときには安倍にべったりだった烏合の衆にすぎなかった。

この点、田中角栄田中派が分裂するさいに見せたような、どろどろとしたエネルギーすら存在していなかった。竹下、そして小沢と、彼らは自派を弱体化しつつも政局を引っ張り続けた。それは橋本が総裁選で小泉に敗れるまで続いた。安倍派は解体に直面しても、政治的エネルギーが発散される兆候すらも見えない。それは田中派のもっていた地方怨念ポテンシャルとは無縁の組織だったといえるかもしれない。

岸田についていえば、キックバックを政争に使ったところまでは野心的だったが、生まれた混乱を自らの人気回復にも、そしておそらく復活するだろう派閥へのジャンピングボードにも結び付けることができなかった。息子の問題に典型的に表れたように、あまりにも脇が甘く、政治家としての闘争能力に欠けていたというしかない。これから自民党は新しいリーダーを求めることになるが、そこに岸田は存在していない。