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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナのクルスク侵攻の意味を間違えるな;スティーヴン・ウォルト教授が提案する「停戦への道」

今回のウクライナによるクルスク侵攻は、果たして成功だったのだろうか。もし、成功だとすればどのような未来に結びつけるべきなのか。いよいよ世界支配をたくらむプーチン帝国を完全に撃破するステップであり、ウクライナへの援助も制限を取り払って加速させるべきだとの主張もある。しかし、スティーヴン・ウォルト教授は、これまで十分に試みられてこなかった停戦を実現するための交渉の第一歩にすべきだという。


ウォルトは米外交誌フォーリン・ポリシー電子版8月28日付に「ウクライナのクルスク攻撃のあいまいな意味」を投稿し、この越境攻撃がもっている意味を分析して、いまアメリカおよび西側諸国がどの方向に踏み出すべきかを論じている。ウォルトの文章は短いものだが、微妙な表現がいつもより多く、それはいまの事態の難しさと同時に、ウォルトの主張がむしろ強いものであることを意味していると思われる。

ウクライナによる突然のロシア領土への侵攻は、この戦争における転換点なのだろうか、意味のないただの見せ物なのだろうか。あるいは、それはウクライナ政府における戦略的なミスなのだろうか。短期的に見れば、それはほぼ成功であるように思われる。しかし、中長期的に見れば、問題が明らかになってくる。この侵攻は、西側のロシア政策にとっても、また、ウクライナ自身にとっても、広範囲にわたる含意があるのではないのだろうか」

 

まず、ウォルトは今回の侵攻の肯定的な側面を列挙している。まず、この侵攻はウクライナ人に対してモラール(士気)を高める効果があった。また、ウクライナを支援している西側諸国にさらなる支援強化をアピールする根拠ともなっている。そして、ロシアにとってはプーチンがドンバスでの攻撃を休める兆しはないものの、ロシアの情報収集や防衛体制の不備を暴露し、プーチンを慌てさせたことはできただろう。

「しかし、この作戦は戦争の結果に影響を与えることはほとんどない」。肯定的な側面から見れば、ウクライナ軍の見事な統率力を示し、作戦上の機密性の高さが証明された。ただし、それは2022年秋のハルキウ攻略のさいに、戦術的な意外性を見せつけロシア軍側が大量だが未熟な兵士と遭遇したのに対して、今回の侵攻はロシア軍の兵士が未熟である点は同じでも、過少な人員だったことから得られる判断もあるとウォルトは示唆する。つまり、この地域は戦略的に重視されてはいなかったということである。


「残念なことに、こうしたエピソードからは、昨年の反転攻勢のさいのように、よく整備されて訓練を積んだロシア軍と遭遇した場合、ウクライナ軍が領土を奪取できる能力があるかどうかについては、ほとんど何も分からない。しかも、このクルスク作戦では、ロシアよりもウクライナのほうが犠牲は大きかった。このことは同種の戦いが常にできることを意味していない。したがって、このクルスクでの成功が、ウクライナ軍はこれからドンバスやクリミアを奪還できると思うのは、とんでもない誤解になるかもしれない」


そもそも、クルスク侵攻が成功だったとしても、その領土奪取は微々たるものなのだ。ウクライナの主張によれば、ロシアの領土を400平方マイル支配したというのだが、同時に、同地域から排除したロシア人は20万人にすぎない。これはロシアの領土の0.0064%、ロシアの人口の0.138%にとどまる。いっぽう、いまロシアが占領しているウクライナの領土はその20%、避難した人口は35%にのぼり、「ウクライナの運命を決めるのは、ウクライナの領土で起こっていることであって、クルスク地方で生じた事件ではない」。

今回のクルスク侵攻によって炙りだされているのは、ウクライナがクルスクを占領する力があり、これからも同様に戦い続けることができるということではない。むしろ、ウクライナを支援してきたアメリカおよび西側諸国が、現実を直視し地道に停戦を目指して外交的な努力を行ってこなかった事実だとウォルトは指摘している。「クルスク侵攻は少なくとも2つの(誤解に基づく)問題を改めて引き起こしている」。


第1の問題が、ロシアがこの戦争の対象と考えているのは限定された領域であり、それとは裏腹に、西側はロシアの軍事パフォーマンスをあまりに過小評価しているということである。ロシアのウクライナ侵攻が始まった2022年以来、西側のタカ派の議論というのは、ロシアはヨーロッパ支配をたくらんでおり、ウクライナへの侵攻はそのステップにすぎないというものだ。しかし、ロシアにそんな軍事力があるわけもなく、まったく現実的ではない想定というしかない。

第2の問題は、「レッド・ライン」を撤廃すべきだと論じる傾向が強まっていることだ。第1と関連しているが、こう論じるタカ派の主張には、あきらかに大きな矛盾がある。ウクライナへの軍事支援にある限界「レッド・ライン」を取り払ってしまえば、今回のクルスク侵攻のように、ロシア軍を撃破して勝利できるというのだが、それほどロシア軍が弱体ならば、どうしてヨーロッパの支配などできるのだろうか。「ウクライナが何をやっても戦争をエスカレーションさせることなどないという主張は、はっきりと否定されるべきだ」。


もちろん、いまのところプーチンは戦争をエスカレーションさせようとしているとは思えない。しかし、それはドンバスにおいてロシア軍が勝ち続けているからであって、もし、本当にロシア自体が危機に陥った場合にはわからない。これまで多くの歴史的事例が示すように、「モスクワが破滅的な敗北に直面するようなことがあれば、いまのような状態が続く保証は何もなくなるだろう」。

「いまアメリカと西側が行っている政策の帰結は、まったく明らかでない政治的目的のために、もっと多くの人びとを殺すということである。交渉による解決を目指してロシアとウクライナの戦争を終わらせることは、我々の利益と道徳が一致するケースのひとつである。これまで西側諸国とウクライナはそのまったく逆方向へと進んできた。今回のウクライナの成功は、真剣な停戦への交渉をスタートするための好機と考えるべきで、コストがかかる戦争を続ける口実にしてはならない。なぜなら、ウクライナは生存はできても、ロシアに対する勝利はけっして得られないからだ」