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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ロシアは核兵器を使用するのか;ハルキウ撤退で追い詰められたプーチン

ウクライナ軍によるハルキウ州での反撃が成功して、ロシア軍は撤退を余儀なくされた。そのため追い詰められたプーチンは、核兵器を使うのではないかとの予測も強まっている。はたして、プーチンはどのように考えているのか。また、使うとすればどのよう使用するのか。西側においてさまざまな議論が交わされている。


経済誌ジ・エコノミスト9月14日号は「ロシア軍の撤退は核戦争の危険度を高めているか」を掲載して、プーチン核兵器を使うのか、使うとすればどのようにかについて、いくつかの視点から、現在の議論を紹介している。順序は逆になるが、まず、どのような核兵器かについて、NATOの元副事務総長ローズ・ゴットメラー(米国国務次官も経験している)の説をみてみよう。

f.t.comより;奪還面積は3000平方キロだという


ゴットメラーによれば、ロシアが使うのは「戦術的核兵器」と呼ばれるもので、「非戦略核」とも称されるように、威力からすればかなり小型のものである。おそらく、ロシアが使用するのは、広島型15キロトンの破壊力にくらべて、約15分の1程度のものになるという。いまのアメリカのトライデントが搭載する核弾頭が455キロトンであり、ロシアのサターン搭載核弾頭が800キロトンであることを考えれば、(もちろん放射性物質を大量に拡散させることは間違いないが)破壊力は比較的小さなものということができる。

The Economistより;右下の丸が戦術的核の威力


このクラスの戦術核兵器を、アメリカは約100基そなえているが、それに対してロシアは数千基備えていると見られている。ロシアが圧倒的に多いのは、アメリカの通常兵器がハイテクによって性能を向上させたのに対し、ロシアは技術力では対抗できないので、戦術核によって補ってバランスを取ろうとしてきたからだ。まさにいまのウクライナ戦争において、アメリカ製の最新兵器がロシア軍を駆逐するなか、ロシアに戦術核を実戦に使うモチーフが生まれていることは間違いない。

The Economistより


これはジ・エコノミストでは触れていないが、日本で核兵器について論じる人のなかには、ともかく核兵器を持てば絶対的な抑止力が生まれると考えている自称「リアリスト」がけっこう多い。これはある種の「洗練」された核理論の一種ではあるが、さらに、核兵器は国際世論の反発を考えれば、使用されることはない武器だと論じるにいたっては、むしろ、有害な理論というべきだろう。リアリストと呼ばれる国際政治学者であっても、保有だけで抑止力が生まれ、結果、核兵器は使われないと論じる人は必ずしも多くない。

たとえば、攻撃的リアリストのミアシャイマーなどは、核兵器が抑止に効果があることを認めるいっぽうで、「戦争には独自のロジックがある」と論じて、核兵器が永遠に絵に描いた餅に終わるというような楽観的な発想はしていない。なかには核理論を米国で勉強すれば、核は使われないと分かると信じているらしい人もいるが、この点、すでにミアシャイマーウクライナ戦争と核兵器について論じた論文は「核戦争を誘発する『ウクライナでの火遊び』」で紹介しておいたので、興味のある人はざっと読まれることをお勧めする。

さて話を戻すが、ロシアが使うとすれば小型の戦術核であるとして、そうした小規模な威力の核兵器で、ロシアはどこを狙うのだろうか。前出のゴットメラ―によれば、黒海の上空あるいはウクライナの軍事施設で1発だけ破裂させ、さらなる攻撃に恐怖したウクライナが降伏することを促すのではないかと述べている。もちろん、これはゴットメラ―が、ロシア側が目標とするものを想像し「もしロシアが核を使うとすれば」という前提で予想したもので、何か法則のようなものに従っているわけではない。

 

こうした予想に対して、ウクライナの総司令官ヴァリイ・ザルジニーは、共著で発表したエッセイで「ロシアが数発の核攻撃で、ウクライナの抵抗の気概を破壊できるなどとは考えられない」と反論している。もちろん、実際に起こってみなければ分からないが、爆発の威力が比較的小さなもので、それが海上で爆発しただけで(放射性物質の拡散はあったとしても)、ただちにウクライナが降伏するかといえば、ウクライナ国民と政府の覚悟しだいといわざるをえない。ここまでくれば、さすがにアメリカが直接の介入に踏み切る可能性は高い。

さらには、本当にプーチンだけでウクライナへの核攻撃を決定できるのかという問題もある。ブリーフケースに入れた核ミサイル発射ボタンは、プーチン以外にも国防大臣セルゲイ・ショイグ、参謀総長ワレリー・グラシモフの合計3人が持ち歩いている。3人が全員押さなければ核ミサイルは発射されない。たとえ、プーチンが決断しても、2人のどちらかが拒否するか、あるいは反対すれば、ウクライナへの核攻撃は不可能なわけである。


ジ・エコノミストは「ロシアが核使用という最後の手段に訴えるかどうかの議論は神学論争の色彩を帯びてしまっている」という。ある理論家集団は「危険が高まれば西側諸国はウクライナに、事が起こってしまう前に(妥協するよう)説得するだろう」と主張し、別の理論家集団は「プーチン核兵器を用いる危険が高まれば、西側は最新兵器をウクライナに送り、ウクライナは占領された領土を解放するのを控えるだろうと考えるのは、あまりに大げさな話だ」と指摘しているという。

同誌の締め括りはちょっと安易だ。「実際には、ある程度の確度をもってどうなるか知っているのはプーチンだけだ」というのだが、「戦争のロジック」は単なる独裁者の意図を超えてしまうことがある。また、「人間の感情」は常態のときと異常のときとでは、まったく異なった様相を見せることがある。だからこそ、あらゆる場合を議論しておき、あらゆる場合に備えることが必要となるのだ。

 

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