いまイスラエルのネタニヤフ首相は絶頂にある。ハマスを掃討し、ヒズボラを抑え込み、そしてイランとの戦いについても、アメリカのバイデン大統領は全面的な支援を約束している。しかし、戦争の歴史が示していることは、華々しい勝利が長期的な戦いでの敗北のきっかけになることが多いという事実である。ハーバード大学のスティーヴン・ウォルト教授は、勝利をおさめつつあるいまこそ、ネタニヤフには暗転が待ち構えているという。
米外交誌フォーリン・ポリシー10月2日付に、スティーヴン・ウォルトが「イスラエルの中東における『任務完了』の瞬間」を寄稿している。冒頭で回想されるのは、他でもない、2005年5月、ジョージ・W・ブッシュ大統領がフライトスーツに身を固め、さっそうとS3バイキング機に搭乗し、空母エイブラハム・リンカーンの甲板に降り立って「任務完了」演説を行ったときのことである。アメリカと同盟国はイラクとの戦いに圧倒的勝利を収め、世界に向かって勝利を宣言する。しかし、まさにこの勝利宣言を境に、アメリカは苦くみじめな失態へと転落していった。
「イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と支持者たちが、イスラエルによるレバノンへの大攻勢を祝福するのを見て、私はブッシュ大統領の『任務完了』宣言を思い出した」。たしかに、この数週間におけるイスラエル軍の作戦が驚嘆すべき戦術的成果を上げていることは間違いない。おそらくネタニヤフの頭の中には領土を南北に拡大した「大イスラエル」のイメージが去来しているだろう。「しかし、彼は本当に成功するのだろうか。疑わしい理由は十分にある」。
フォーリン・ポリシーより;米国を訪問したネタニヤフ
理由の第一が、「イスラエルは抵抗勢力に対して甚大な損害を与えたが、この損害で彼らが白旗をあげることはないという現実である」。ハマス、ヒズボラ、フーシ派、そしてイランは、これまでもイスラエルから甚大な損害を受けてきたが、その抵抗の激しさは強まることはあっても衰微したことなどなかった。さらに、イスラエル国内のパレスチナ人においては、そもそも、これからもイスラエルに抵抗すること以外、選択肢はどこにもないのである。
また、イランのイスラエルへの攻撃はさらに強まるだろう。「それどころか、イランの指導者たちが、潜在的核保有国から核兵器構築に向かう可能性は強まっている。そのような決断は全面的な地域紛争を引き起こしかねないが、イスラエルが激しく攻撃すればするほど、その決断の可能性は高くなっているのだ。つまり、いまのイスラエルの軍事的成功に見えるものは、きわめて近視眼的な判断に他ならないのである」。
フライトスーツをまとったブッシュ大統領
理由の第二は、「イスラエル自身が最近の行動によって、地政学的な孤立を増強させていることだ」。これは後に述べるように、アメリカとの特別な関係も危うくする可能性を含んでいる。昨年10月7日のハマスの虐殺によって、イスラエルは世界中の同情を得たが、その後のガザとレバノンでの民間人の虐殺は、その同情を無にしてしまうものだった。サウジアラビアやその他のアラブ諸国に隣国としてのイスラエルに対する疑問が広がり、グローバルサウス諸国の多くもイスラエルに反発するようになっている。
理由の第三は、「こうした国際社会でのイスラエルへの疑問は、アメリカの世論にも大きな影響を与える」ということだ。イスラエルのいまの行動が中東での地域紛争の本格化につながり、アメリカもそれに巻き込まれれば、アメリカ人の多くがイスラエルとの「特別な関係」に懐疑的になるだろう。それはまさに前出のブッシュ大統領が直面した事態で、サダム・フセインのイラクを圧倒する戦争は、勝利したときからその根拠に疑問が強まり、ついには占領も支持を得られなくなっていった。
絶頂にあったブッシュ大統領
理由の第四は、「肝心のイスラエル国民への影響が大きくなり、ネタニヤフ政権への支持が失われる事態が起こる」ことである。イスラエル国民はネタニヤフを政権から引きずり降ろすことによって、いまの戦争を見直す機会があった。ところが、ネタニヤフと宗教的右派による戦争の継続とプロパガンダによって、その機会を逃しただけでなく、さらに激しい戦時体制へと傾斜していった。その結果、国内からのイスラエル人の海外脱出が始まり、いまでもすでに50万人(約5%)が海外で暮らし、その80%は、もうイスラエルには帰国しないといっているという。また、これはすでにこのブログで紹介したことがあるが、イスラエルの経済は激しい戦争を継続することによって「深刻な危機に瀕している」。これは国民の支持を失うことに直接つながるだろう。
「一見すると成功に見えるもののなかに、深刻な失敗の因子が胚胎している。成功する政治リーダーの条件は、一時的な成功を利用して長期的な利益を確保できるかどうかである。そのためには、成功している政策をいつやめるか、いまのイスラエルの場合には、いつ戦闘から紛争解決へと切り替えるべきかを、的確に知る必要がある。残念なことに、ネタニヤフにはそうした種類の技量がないだけでなく、そうした技量を獲得しようとする努力の兆しさえも見られないのである」