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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナの「越境攻撃」は戦争の趨勢を変えない;「戦場の形成」が欠落した戦いは消耗に終わる

ウクライナが行った「越境攻撃」は、ロシアが侵攻された地域で反攻を行わないので、成功したとの見方がある。しかし、戦闘はあくまで戦略的な位置づけで見なくてはならない。ウクライナはさらに長距離ミサイルなど西側が供与する武器についても、使用上の制限を撤廃せよと主張している。では、その制限を撤廃すると、ウクライナ戦争の趨勢が激変するのだろうか。ここでは米外交誌に掲載された論文をもとに考えてみよう。


米外交誌フォーリン・アフェアーズ電子版8月28日に掲載された「ウクライナによるロシアへのディープストライクにおける誤り」は、ウクライナの越境攻撃とその拡大を疑問視する典型的な論文といってよい。筆者はコロンビア大学で国際政治を講じ、軍事史にも詳しいスティーヴン・ビドル教授。「遠隔のターゲットを攻撃しただけでは、戦争のバランスを変えることはできない」というのがその論旨だが、こうした主張は戦略論的な議論において実は珍しいものではない。

「そもそも、ウクライナの攻撃を評価する以前に、今回のディープストライク(遠距離攻撃、越境攻撃のこと)がウクライナにとって、軍事的にどれほどの価値があるかを考えることが重要だろう。そして、もしアメリカがウクライナの求めに応じ、武器の性能の制限を撤廃したとき、戦争の現実も変わるのかも考えてみるべきだ。それで初めて、戦争拡大というエスカレーションの危険を冒しても、軍事的関心を優先すべきと言えるか判断できるだろう」


この1年以上にわたって、ウクライナもロシアも消耗戦による戦争を続けてきたといえる。双方とも守りを固めて、それを突破するのはきわめて困難な戦闘をえんえんと続けてきたわけである。この種の戦争は歴史的にみても、兵士の生命や軍需物資が乱費されるから、戦争の「資源」を多く持つほうが勝つことになる。このウクライナ戦争もまた、きわめて緩慢な動きしか見られないが、長期的にはロシアが有利だとの判断には根拠があった。

今回のウクライナのディープストライクは、こうした持久的な戦いとは異なっているように見える。ウクライナにとっては、ロシア領内にある兵站基地や司令部、空軍基地や軍港、配置されている地上軍、軍需工場や軍需インフラ、民間の発電施設、さらには政治の中枢であるクレムリンも攻撃できるかもしれない。そうした攻撃を行えば、たしかにロシア軍の攻撃力を低下させ、防衛力も弱体化できるだろう。しかし、それでもなおディープストライクの効果については疑問が多く残るとビドルはいう。


まず、遠隔操作の攻撃はきわめて高くつく。ウクライナはますます西側とくにアメリカへの依存度が高まる。また、厳しい技術的な正確さが要求される。そうしたハードルを越えて攻撃する場合、常に問題になるのは、この高価で困難な戦争を果たしていま行うに値するほどの価値があるかということである。さらに、そうした高い技術の武器をウクライナに与えることで、本当にウクライナが戦場で圧倒的な優位性を持つことができるかが問題になる。

特にビドル教授が注意を喚起しているのが、遠隔攻撃で「戦場を形成する」という考え方である。アメリカの軍事的ドクトリンでは、たとえばミサイルによる遠隔攻撃というのは、戦場でたたかっている敵への支援を断ち切り、そのことで敵が回復して反攻する以前に、集中的に組織した陸軍および空軍によって、戦場の敵を撃破するチャンスを作りだすことが目的なのである。つまり、遠隔攻撃は敵を一気に撃滅できる戦場を作り上げてしまう、ひとつの過程なのだ。


そのことを念頭に、これまでウクライナ軍が行ってきたことを振り返れば、まさに「戦場を形成する」ことができなかったための失敗が続いている。典型的だったのが昨年夏に行われた「反転攻勢」で、このときも「多くのアメリカ軍の幹部たちは、ウクライナ軍が十分にトレーニングされていないと思った」という。もし、こうした「戦場を形成する」ことができないままに長距離ミサイルなどを使用しても、それは単なる消耗に終わるというわけだ。

同じことは戦略爆撃にもいえることで、単に敵対勢力のいる地域を爆撃しても、戦争を勝利のうちに終わらせることはできない。戦略爆撃はその後の地上戦とセットになってはじめて効果があったことになる。ビドルにいわせれば第二次世界大戦において、連合軍はドイツの都市を徹底的に爆撃したが、それが直接に降伏を引き出したわけではない。その後の地上軍による攻略が必要だったのだ。日本に対する爆撃などは、全土を焦土化しても降伏することはなく、「原爆による爆撃が決定的だったと思われる」。


そうした歴史的な事例を思い出せば、いまウクライナが支援国を説得して始めようとしているロシア領土の攻撃が、ロシアの降伏を引き出せるとは思えない。小規模の爆撃をいくつも積み重ねたところで戦争は終らない。たとえば、ウクライナ軍がロシアの軍需工場をいくつか爆撃して破壊しても、ロシアは北朝鮮や中国から武器弾薬を購入するようになるだけだろうとビドルはいう。もちろん、アメリカが1942年に行ったドゥリトル機による日本本土爆撃が、アメリカの兵士と国民を鼓舞したことは確かだが、戦争が終わったのは3年後だった。

ウクライナの支援国がいま考えるべきことは、半端な軍事的勝利を目指すことが、戦争エスカレーションのリスクをとってまでもやるべき事かどうかだ。その答えは、戦争拡大の危険性についての評価と、西側諸国の政府と国民のリスクに対する耐久性によって決まるだろう。私は後者のほうが価値ある判断になると考えるから、軍事的判断だけでラインを引くことはできないと思う。いまできることは政治的決定が戦場にどのような影響をもたらすかに注目することだろう。西側諸国がウクライナのディープストライク能力の制限を取り払っても、いまの戦争の趨勢に決定的な変化はもたらさないのだ」