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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ゼレンスキーは何故クリミアに攻め込まないのか?;歴史と戦略の観点から考えてみる

ウクライナがヘルソンを奪還したことで、クリミアの奪還も近いと思った人は多かった。なぜ、ゼレンスキーはすぐにクリミアに攻め込まないのか。ここにはクリミアに特徴的な戦略上の理由があるといわれる。そしてそれは、ウクライナ戦争の本質にかかわる難題につながっている。


ヘルソンのドニプロ西岸からロシア軍が撤退したとき、ウクライナ全土はお祭りのように沸き立ったものだった。これでウクライナは戦争での勝利を目前にしており、次はクリミアの奪還に向かうと思った同国民は多かっただろう。しかし、主戦場は東部へと移動し、いっこうにクリミアに進軍する様子は見られない。それどころか、いまもヘルソンではロシア軍の砲撃が続いている。なぜゼレンスキー大統領は、勢いづいたウクライナ軍を南下させないのだろうか。

ここでもまた、最近の報道を手がかりにして考えてみよう。英経済誌ジ・エコノミスト11月24日号は「ウクライナのクリミア奪還は、血生臭く困難なものになる」を掲載して、その理由を概括してくれている。ひとことでいえば、いまロシア軍がかなりの勢力を駐留させているクリミアでの戦いは、これまでの戦いとは「質」が変わってしまうということである。しかも、ロシア軍はクリミアで新しい要塞を追加し、塹壕を掘っているという。

ゼレンスキー大統領は11月24日にも、戦いの目的は「すべての国土を奪還すること」だと述べている。しかし、同誌はそのいっぽうで「ウクライナの司令官たちは、次の作戦については口が重い」という。たとえば、元空軍司令官のミハイル・ザブロドスキィは「もし、これからの我われの作戦をSNSで発表したりすれば、我われは何も達成できないことになる」などと韜晦しているが、ただし、クリミア奪還は簡単ではないとはっきり述べている。


このザブロドスキィ中将は、ウクライナ軍がクリミアを取り戻すことが可能であることはもちろん、2023年内の達成を目指して準備が進んでいることも認めた。すでに前哨戦では勝利しているとも語った。「しかし、歴史が示しているように、クリミアというところは、占領した軍隊が、往々にして占領を維持することが難しいと気がつくところなのだ」と述べている。つまり、占領するのは容易でも、それを維持するのは困難だというわけである。

そのことを忘れがちなのは、2014年にプーチンが2人の死者を出しただけでやすやすと占領し、すぐに併合してしまったからだ。しかし、これは例外中の例外であり、このときはウクライナに事実上、戦う準備がなかった。歴史をひもとけば、1850年代のクリミア戦争といえば、血塗られた苛烈な戦争の代名詞である。また、ロシア革命のときの内戦でも何十万人もの死者を出し、さらに、第二次世界大戦のさいにもクリミア攻防は熾烈な戦いとなった。


興味深いのは、ウクライナの奪還は軍事ではなく外交によるのがいいと、ウクライナの軍事専門家たちが指摘していることだ。たとえば、1992年の独立のさいに活躍したウクライナのミコラ・ジバレフ提督は「この紛争地(クリミア)を取り戻すのは(軍事によるのではなく)外交という道筋によるのが最も確実だと思う」と語っている。また、ウクライナ生まれのアンドリィ・リゼンコ元大佐は、「クリミアで戦えば凄惨な戦いになることは目に見えているし、ウクライナにとって必ずしも不可欠な戦いではない」とまで述べている。

なぜクリミア半島での戦いが血塗られた凄惨な戦いになるかといえば、ひとつは地理的な問題で、狭い海峡を渡り、隠れる場所のない土地を進み、湿地帯を踏破しなければならない。敵に狙われやすく多くの犠牲が生まれてしまうことになるのだ。またウクライナにとっては、ハルキウやヘルソンでの戦いとは異なり、地元の支援を得ることが難しくなるというのも大きな問題となる。ハルキウやヘルソンではウクライナ軍への情報が入りやすかったが、クリミアでは親ウクライナ的な組織は弱体化してしまっている。


さらにもうひとつ、ウクライナにとって大きな問題がある。いうまでもなく、これまでのウクライナの進軍を支えていたのは、アメリカを中心とする西側の支援だった。ことにアメリカが供与してきたロケット砲ハイマースは、ロシア軍を撃破するのに決定的武器となってきた。しかし、このところアメリカ共和党内部でも、これまで通りのウクライナ支援には懐疑的な議員たちが増えている。また、ヨーロッパの国々も厳しい冬を迎えており、このままクリミアでの戦闘を支持するかは難しくなってきた。

 

こうした状況のなかで、ゼレンスキー大統領はさらに苦しい選択を迫られるだろうと同誌は予想している。ウクライナの国立戦略研究所員であるミコラ・ビリースコフは「ゼレンスキーはいまやクリミア奪還にくぎ付けになってしまっている」と指摘している。というのも、ハルコフとヘルソンの奪回によって、ウクライナ世論はロシアとの話し合いを拒否し、戦いによって解決すべきだという人が84%を超えてしまったのだ。同誌は最後に次のように述べている。

「高い世論の支持があるために、ウクライナの戦時大統領(ゼレンスキー)は、強い圧力によって追い込まれてしまったといえる。クリミアをロシアからウクライナに取り戻す試みは、犠牲が多く苦しい軍事的な方法に依らざるを得なくなった。しかし、これは同時に、ゼレンスキーがどうしても支持を得なくてはならない同盟国との間に、おおきな亀裂を生むかもしれないのだ」