ウクライナ高官がクリミアについて交渉の可能性について言及した。もちろん、クリミアでの反攻が成功した場合という条件つきだが、昨年4月にキーウ政府がモスクワとの和平交渉を打ち切って以降初めてのことで、世界に注目されている。その背景にあるものは、いったい何なのだろうか。
英経済紙フィナンシャルタイムズ4月5日電子版は「ウクライナはクリミアについて、もし反攻が成功すれば、ロシアとの対話に『準備』がある」との記事を掲載した。ウクライナの大統領府副長官のアンドリー・シビハが同紙のインタビューに答えたもので、「ウクライナ軍が占領下のウクライナ半島におけるボーダーラインに達したならば」という条件付きだが、何故いまそのような発言が出てくるのか考えてみたい。
このところ話題になっていたのは、ウクライナ東部のバフムトの攻防で、ワグネルの創始者ブリゴジンが「バフムトの東部は占拠しており、市庁舎の近くでロシア国旗を掲揚した」とビデオで発言したことが注目された。それに対してウクライナ側が、バフムトの西部にある高台はウクライナ軍が占拠しており、いまもロシア軍はバフムトを支配していないとのメッセージを流した。
一時はウクライナ軍のバフムト撤退が迫っているとの情報が流れたが、ゼレンスキー大統領は「将軍たちの助言に従って撤退しないと決定した」との宣言を世界に向けて発し、もはやバフムトは陥落直前との観測を否定していた。しかし、このさいにも専門家の中には、なぜ撤退しないのか疑問だと指摘する者もいた。いくつもある戦線のうち、ひとつについて戦略的撤退をするだけで、戦争そのものに負けるわけではないからだ。
事実、フィナンシャル紙4月3日付によれば、3月にゼレンスキーがAP通信の取材を受けたさい、「もしプーチンがバフムトで勝利したことになれば、ロシア軍は西方への進軍をつづけ、ウクライナの社会は意気消沈してしまうだろう」と答えたという。「もし、プーチンが少しでも血の匂いをかぎ付け、我われが弱体化していると信じれば、かれはどんどん進軍するだろう」というわけである。深読みすれば、アメリカ経由のウクライナ報道とは、ちょっと違う事態が生じていることを示唆している。
今回のアンドリー・シビハの発言は次の通りだ。「もし、われわれが戦場において戦略的目標を達成し、クリミアとの行政的境界に達したならば、この問題(クリミアの将来)について外交交渉のページを開く準備はできている。ただし、それは我々がクリミアを武力解放する道を放棄するという意味ではない」。
この発言は世界中を駆けまわり、ひょっとしたら和平交渉の可能性もあるのではないかとの期待をもたせたが、もちろん、それはあまりにも気の早い話で、そもそもクリミアをめぐる戦いが本格的に起こっていないのだ。ゼレンスキー大統領は、公式的にはロシアとの会談を選択肢から排除しており、バフムトでの判断を見るように、あくまでウクライナ軍はロシア軍を圧倒していることになっている。
とはいえ、ロシア兵士の士気や武器における劣勢が明らかだとしても、それが戦闘をやめるという決断には結びつかないのが、歴史的にみてロシア軍、旧ソ連軍、さらには帝政ロシア軍にまでさかのぼれる不思議な性格なのである。他の国が「とてもこれでは戦えないだろう」と思うような状態でも、ずるずると兵士を投入し続けるという歴史は、今回も思い出しておいたほうがいい。ロシアに隣接するある国の観測では、これから2年間くらいは、ロシア軍は戦えるという。
シビハは外交のキャリアが長く、大統領府では外交を担当している。しかし、ゼレンスキーのスポークスマンは、このシビハの発言についてコメントを拒否していて、これだけからすれば、とても和平交渉へと流れが生まれたと思わせるものはない。とはいえ、外交経験を踏んできたシビハが、単なる思い付きで発言したわけはなく、そこに何らかのゼレンスキーとの連携を読むことは難しくないだろう。たとえ状況が膠着していても、いまのうち選択肢を増やし、交渉にも道をつくっておくというのは、外交では少しも珍しくない。
「ただし、ウクライナの交渉へのシフトは、国内の反発に遭遇することになる。この2月と3月のキーウ国際社会研究所の世論調査では、平和を実現するためとはいえ、如何なる領土的妥協も考えるべきではないと答えた人が87%に達し、長期的な平和が得られるならそれもあると答えた人は9%にすぎなかった」
クリミアについては、「たとえ、それが西側諸国の支援が減退するようなことになり、また、延々と戦争が続くというリスクがあるとしても」、64%のウクライナ人がクリミアを含む領土回復を望むと答えており、たとえ、ゼレンスキーが和平交渉に乗り出すとしても、そう簡単な道ではない。ただし、外交というものはタイミングが大事で、タイミングが良い時には、驚くべき速度で世論のほうが変わることがある。そのタイミングとは、クリミア奪還なのか、バフムト撤退なのか、まだ予想するのは難しいだろう。