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東谷暁による「事件」に対する解釈論

米国の紛争介入が無力化する構造的な理由;スティーヴン・ウォルト教授が指摘する「解決法ギャップ」

バイデン政権がかかわった紛争はすべて事態が悪化している。ウクライナ戦争も援助したのに反転攻勢に失敗し、イスラエルハマス戦争もアメリカの警告など無視したイスラエル軍の暴走といってよい状態である。それ以前にもアフガニスタンからの撤退は失敗し、最近はイランへの牽制だという爆撃も、成果がよく分からないままに、戦線拡大の恐れだけが大きくなっている。


こうしたアメリカによる紛争介入の失敗は、すべてバイデン政権の責任だということもできるが、それではあまりに単純な見方ということになるだろう。いくらバイデンが無謀で無能な大統領であるとしても、ここまで次々と失敗するというのは、もっと何か別の大きな理由があるのではないだろうか。

すでにハーバード大学のスティーヴン・ウォルト教授によるアメリカの戦略批判は「米国による国際紛争への介入は有効なのか」で紹介しておいた。戦争の目的と手段の間に大きなズレがあるという指摘だった。実は、同じ外交誌フォーリン・ポリシー1月30日付にウォルトはすでに「アメリカは解決策ギャップで悩んでいる」を寄稿していて、ここではアメリカの介入の失敗を、世界の構造変化から論じている。こちらも簡単に紹介しておきたい。


この論文の「解決策ギャップ」というのは、かつては有効だった介入が世界の構造が変化したために効果が著しく低下していることを意味する。「アメリカの世界政治における努力は、私たちがしばしば見落としてきた、深い構造上の問題に直面している。アメリカが国際政治を主導するのに失敗するのは、アメリカの戦略が間違っているため、あるいは担当する高官たちのスキルが劣っているためというより、紛争の相手が摩擦を生み出す問題に対して、アメリカ以上に犠牲を払うことでより大きな成果を得られるからなのだ」。

ちょっと抽象的で分かりにくいかもしれないが、あえて大雑把にいえば、敵国にとって戦争を激化させて武器弾薬や兵隊を投入して紛争地を奪取して得られるものが、アメリカが介入して犠牲を払い紛争地から引き揚げさせて得られるものよりも、ずっと大きいときには、アメリカの警告を無視して戦争を継続するということである。もちろん、互いの犠牲と成果の比較が可能だとしての話だろうから、現実にはそれぞれの判断ということになる。


アメリカはこれまで超大国として、当事国たちが払うだろう犠牲などよりもっと大きいといえる武器弾薬や兵力を投入して、紛争の収拾をはかることは多かった。その地域に平和を取り戻すことが政治的あるいは経済的に重要であると、世界の超大国としてアメリカが判断した場合には、明らかに当面はコストや犠牲が大きくても介入を行ってきた。アメリカは現代において度外れにパワーのある超大国であり、世界の紛争のほとんどは自国から遠く離れた地域で起こったから、そんなことができたのである。

「しかし、それだからこそ、ここにパラドックスがあった。アメリカは自国領土に対する攻撃の防衛に悩むことなく、ふらふらと世界に出てゆき、遠隔地での紛争に介入することができたのだが、その遠くにある地域で起こっていることは、実は、アメリカの存続にとって危険であることなど、ほとんどなかったのである」

それがどうした?と思う人もいるかもしれない。しかし、これはアメリカの戦争というものが、世界でもほとんど特異なものだったことを意味する。「アメリカが参戦した2つの世界大戦ですらも、厳密にいえばアメリカにとって必要にかられて戦ったものではなかった」。その意味では、台湾をめぐる問題ですらも、アメリカは中国ほど切実な問題としているのか実は疑問なのである。


こうしてみれば、アメリカがかかわる戦争のほとんどは、アメリカにとって最終的に切実な問題とはいえない。いっぽう、介入した紛争地に直接かかわっている国家が、アメリカ以上の犠牲を払っても自国の利益を守ろうとするのは当然だろう。ただし、それが可能であればの話で、これまではアメリカが出てくると自国の利益追求を貫くことはできなかった。もちろん、アメリカ以上に犠牲を払った国が紛争に勝利するわけではないし、また、アメリカの敵国となった国が大きな犠牲を払うからといって、アメリカが介入するのを避けてきたわけではない。その介入方法には、ざっといって2種類のやり方があったとウォルトは指摘している。

「第一のアプローチは、特定の紛争の解決において、アメリカの名声と信頼を勝ち取ることにリンクしたもの。たとえアメリカが払った犠牲が見かけより少なくとも、アメリカの高官たちは、将来の攪乱者たちを抑止するために、アメリカは犠牲を払っても解決しなければならないと主張することになる」。このアプローチとして例に上がっているのは、ベトナム戦争イラク戦争アフガニスタン戦争などで、たしかに犠牲は多かったと思われるが、はたしてこれらがアメリカの名声を高めたかは疑問だろう。

「第二のアプローチは、ほとんどゼロに近いコストで、敵を撃破してしまえるほど、十分なレベルの軍備と経済における優越性を維持し続けるというもの。敵国はたしかに賭けるべきコストについて悩むだろうが、敵国が達成したい目標のためなら、ある程度高くついても踏み切るかもしれない」。湾岸戦争のさいイラクサダム・フセインは、アメリカ国民は1万人以上の戦死は耐えられないだろうから、アメリカは介入してこないと思っていた。まさに、湾岸戦争の砂漠の嵐作戦の戦死はそれ以下であり、圧倒的な優位で介入は進められた。


しかし、こうした2つのアプローチを難しくしているのが、軍事技術の急速な発達だとウォルトは指摘している。いうまでもなくドローン、増強される探査能力、ミサイルの攻撃力の向上などだが、「これらは比較的弱小な戦争主体にとって優位になる」。それは、たとえばイエメンのフーシ派などに見られるように、「弱小だが高度に好戦的な地域勢力」は、近年、飛躍的に攻撃力を持つようになっている。もちろん、彼らはアメリカを撃退することなどできないが、アメリカが20年前ほどには維持していた絶対的な優位を掘り崩している。

「もし、いま防衛優位の時代になりつつあるのなら、また、ほとんどの国の解決策が隣接する周囲の国々のなかで最強になることなら、広域において無敵のグローバル勢力になろうとするいかなる国の能力も後退することになる」。近隣にのみ自国の勢力を限定して確保している、世界で6つかそこらの強国からなる多極構造の世界がやってくるなら、これまでのアメリカのグローバル戦略は十分にパワーを発揮できなくなるだろう。

最後にウォルトは「グッド・ニュースもある」という。これまでアメリカが何かあれば出かけて行ったような世界の国々が、世界の構造変化に応じるなかで、自国は自国で守り、防衛戦略も自国とその周辺国との間で考えるようになるという。そういう時代になっても、アメリカは失望する必要はないとウォルトは付け加えている。「これまで私が多極化を論じるなかで述べてきたように、アメリカは一定の優位を保つと思われる」。では、日本はどうなるのだろうか。その点についてウォルトは書いていないので、われわれが考えるしかない。