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東谷暁による「事件」に対する解釈論

米国による国際紛争への介入は有効なのか;スティーヴン・ウォルト教授が提示する4つの疑問

いまアメリカが行っている紛争への介入は、果たしてよく考えられたものなのだろうか。継続されているウクライナ戦争、イスラエルハマス戦争への関与のしかたや、イエメンやシリアへの爆撃は本当に効果をもっているのだろうか。ハーバード大学政治学者スティーヴン・ウォルトがいくつかの視点から疑問を呈しているので紹介しておきたい。もちろん、選択と要約において私の解釈が入っていることは当然である。


米外交誌フォーリン・ポリシー電子版2月12日付にウォルトが「アメリカの外交政策に見られる神経症の治療」という、ややシニックなタイトルの論文を寄せている。いまアメリカは世界中で多くの紛争に介入し、あるいは関与しているが、それらは効果を持っているのか、あるいは関与の方法として正しいのかについて、4つの観点から論じている。

そのイントロでウォルトは、アメリカほどの大国になると、たとえ下手な介入をしても、そのマイナスの影響が顕在化するのが遅いので、いかに下手なものなのか分からないままになる危険があると指摘している。「権力の地位にある者は自分たちが何か素晴らしいことをしていると信じ込もうとしているので、自分たちが損な戦いをしているということに気が付くことは稀である」というわけだ。

まず、第一の疑問は「なぜアメリカは爆撃をすればそれが勝利への道に通じていると考えてしまうのか」というものである。「もう一世紀以上も空軍は爆撃にさいして、その爆撃が敵を懲らしめ白旗を掲げさせることができるものだと主張している」。しかし、最近の戦争たとえばイスラエルによるガザ地区の爆撃ひとつをみても、それが必ずしも敵を掃討することができるとは限らないではないかというわけである。

ウォルトにいわせれば、爆撃には2つの注意すべき点がある。ひとつめが、爆撃だけで敵を降参させることができるとはいえないことであり、ふたつめが爆撃することによって敵が戦意をくじかれるのではなく、かえって忍耐をかきたて復讐を誓わせることになりやすいという。これはイスラエルガザ地区攻撃だけでなく、アメリカがイエメンやシリアの親イラン勢力へ向けての爆撃の有効性についても疑問を呈しているわけである。

第二の疑問は「これからどれほどの期間、わたしたちは『抑止力の強化』をしなければならないか」である。強大な軍事力をもつ国家は、相手を「抑止」するためにさまざまな作戦を展開するが、それが必ずしも効果を生んでいるとはいえない。たとえば、ハマスを封じ込めようとしたイスラエルは、中東ではずぬけた強大な武力を持っているが、ハマスを抑止する作戦を展開していたはずなのに、10月7日の急襲を阻止できなかった。

第三の疑問は「米国は北朝鮮核兵器の放棄をすると本当に確信できているのだろうか」ということで、もちろん、ウォルトはそんなことはないだろうと考えているわけである。そもそも、北朝鮮は外国によって金一族を政権の座から放逐されたくないから核兵器の拡充をしている。それに対して米国が金一族のボスに核兵器の放棄を求めても応じるわけがない。「いいかえれば、米国は公的に非合理的な目標にむかってしゃかりきになっているわけで、本来の目標を達成するための努力をかえって邪魔しているわけである」。

第四の疑問は、「米国はこれからも経済的制裁の過剰な採用を続けるのだろうか」というもので、このところ経済的制裁で問題が解決できたことはほとんどないことを思えば、いまの加速的なこの政策の採用はまったく理解しがたいものだ。「経済的制裁は軍事的強制があまり意味ないときに採用されるもので、ほとんどの場合にこの種の制裁はほとんど効き目がないことが分かっていて行われる」。


もちろん、これはロシアへの経済的制裁が利いていなことを前提として指摘しているわけだが、実は、小国への経済的制裁は独裁者などの支配者をターゲットにしていても、結果として生じるのは貧困にあえぐ国民をさらに苦しめることになる。はなはだ非人道的なものであることは、むかしから指摘されてきた。いっぽう、大国である中国への経済的制裁も、いまこの国が経済的に落ち込んでいるのは、不動産バブルの崩壊によるもので、それを見て成功したとはいえないだろう。

アメリカは世界戦略のための「道具箱」にはたくさんの道具を入れているが、それを弄んだところで目的と手段の整合性がなければ、ほとんど効果はないままに終わる。「もしアメリカ人が自分たちのリーダーたちに、こうした意味のない外交政策をとる前に多少は考えるように望むならば、国民のほうもすこしは国際戦略に疑問を持つようになり、そしてもっとよい解決策を提案するようにすべきだろう」。