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東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナは何故ロシアに侵攻したのか;これからの停戦交渉に備えるためとの説が有力だ

ウクライナ軍がロシアのクルスク州に侵攻してから、すでに6日がすぎている。この間、ロシア軍はウクライナ軍を領内から排除するのに成功していない。可能性としてはこの戦線での戦いが続くことも考えられ、ウクライナのこの作戦が何を目指しているのかが、ますます重要なポイントとなってきた。いくつかの報道から、ウクライナ軍ロシア侵攻の本当の意図を考えてみたい。


8月10日夜、ウクライナのゼレンスキー大統領は5日間の沈黙を破って、自国軍によるロシア侵攻について語った。「すでに総司令官のオレクサンドラ・シルスキーから、戦線の状況と侵略者(ロシア)の領土に進撃した状況について報告を受けている。ウクライナがいかにすれば正義を守ることができるか、そして、そのため必要な圧力のたぐいを実行するにはどうするかを知っていることを証明しつつある」(フィナンシャル・タイムズ8月12日付「ロシア軍はウクライナ軍の侵攻を押し返すのに失敗」)。

言いたいことは漠然と分かるが、まだ流動的な状況にあって、具体的なことは口にしていない。しかし、フィナンシャル紙8月10日付の「最大規模のロシア侵攻でガス輸送の拠点を占拠」では、元国防相のアンドリィ・ザゴロドニュクは「すでにウクライナ政府は以前から計画していた」と語り、「ウクライナ領内で戦闘を行っているロシア軍を引き付けるとともに、ロシア国内に戦争を持ち込み、防衛に協力しているロシア人を意気消沈させるのが目的」と述べた。さらに「ロシア領内に長く留まる意図はない」と付け加えている。


すでに投稿した「ウクライナ軍が国境を超えた急進撃に成功」でも予想したように、東部戦線で苦戦しているウクライナとしては、クルスク侵攻によって他の戦線から兵力を移動させると同時に、ロシア国民に否定的な衝撃を与えようという、いくつかの意図が込められた作戦だと見てよいようだ。ただし、そのなかで最も大きい要素はどれかという点は、ゼレンスキーやザゴロデニュクの発言からは明らかにならない。

これは8月9日に米外交誌フォーリン・ポリシーに掲載されたものだが、スウェーデン国際問題研究所のアンドレアス・ウムランドの「ウクライナのロシア侵攻は戦争の早期解決をもたらす可能性がある」を参考にして、ウクライナの意図をもう少し深掘りしてみよう。ウムランドはワシントンポスト紙に登場したゼレンスキーのアドバイザーの次のような発言を引用している。「この侵攻はいま準備が進んでいるロシアとの交渉に、ウクライナが必要とするレヴァレッジ(てこ)を与えるものになるだろう」。


さらに、ウムランドはさる7月にゼレンスキー大統領がBBCのインタビューに答えたときの発言に注目している。ゼレンスキーは次のように語っていた。「われわれは軍事力によって自国の領土を取り返そうとは思わない。それはあくまで外交の助けを借りて行われるべきだろう」。軍事に頼らないとはいっても、外交交渉の条件を整えるための武器による「圧力」は必要だということだろう。そして、ウムランドは「占領されたロシアは占領されたウクライナとのトレード条件となりうる」と指摘している。

では、このトレード条件を、ウクライナはなぜいま性急に成立させようとしているのだろうか。ウムランドは次の3つの条件がウクライナを駆り立てているのだと述べている。第1に、ウクライナ国内に厭戦気分が広がりつつあること。第2に、ウクライナがロシアとの交渉を具体化しないことについて、西ヨーロッパ諸国やグローバル・サウスの国々から批判されていること。第3に、いまやウクライナは何とかロシアを抑えており、西側からの支援も約束されているが、アメリカの大統領選の結果如何では状況が急に悪化することである。


ウムランドによれば、いかにウクライナがモラル、国際規範、国際法に訴えて領土の返還をロシアに要求したとしても、交渉のさいの強力な取引材料がなければ、ロシアはまったく痛痒を感じないだろうという。いまウクライナがおかれている危機的状況のなかで、そのレヴァレッジを手にいれることが、ウクライナにとって何より重要だと思われるようになっていたのではないか、というのである。

もちろん、こうした推論を行っているウムランドの目から見ても、こんどの侵攻によってウクライナがクルスクを占領したとしても、それですべてが解決するわけではない。いざ、交渉を始めてみたところ、予想できなかった要素がさらなる障害となって現れる可能性は大きい。しかし、そうした危うい情景のなかでも、ウクライナが領土回復の戦いを続けるには、やはりトレードの材料が必要だったというわけである。