HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

ウクライナ軍が国境を超えた急進撃に成功!;ただし、戦略的な意義はまだ不明とされている

ウクライナ軍がロシア領内のクルスク地方に攻め込んで、いまも優位に立って戦い続けている。このままでいくと、去年に失敗した反転攻勢が実現してしまうのではないと思われるほどの勢いなのだという。しかし、そのいっぽうでウクライナ軍のコストも大きく、急進撃の狙いがいまのところ不明なので、これからの展開については憂慮も生まれている。はたして、ウクライナは何を考えているのか。そして屈辱にまみれたプーチンはどう動くのか。


8月6日、ウクライナ軍はロシア北東部クルスク地方に急進撃して世界中を驚かせた。8月8日までに国境から10キロ入ったところにあるスジャと、同じく国境から15キロに位置するコレネヴァに進軍して、いまもこの2つの地域で激戦が続いているという。ソーシャル・メディアに流されている映像では、破壊された建物や穴だらけの道路、そして多くの死体が散らばっているのを見ることができる。

経済誌ジ・エコノミストは8月8日付に「ウクライナは高くつくロシアへの急進撃で世界を驚かした」を掲載し、このウクライナの意外な作戦について、その戦略的意味をあれこれ推測している。まずは、両軍の「情報戦」だが、ロシアの最高司令官ゲラシモフは国内に攻め込んだウクライナ軍の約1000人は進軍を阻止されたと述べている。いっぽう、おそらくウクライナ側の情報によれば、ロシアはすでに麻痺状態にあり、350平方キロの領土を把握できなくなっているという。


ウクライナを支援している西側諸国は、ひさびさの戦勝に喜んでもいいはずだが、単純に喜べないのは「クルスク襲撃はいまも秘密の雲に包まれたまま」になっているからだ。ウクライナ側から、この急進撃の意図が発表されていないのである。もちろん、戦場は「霧の中に包まれている」のが普通だから、ウクライナが明確な発言をしなくてもおかしくない。とはいえ、得られる情報からは、ウクライナはかなりの戦力投入を行っていることが明らかで、それがこれからの長期戦略にどうつながっていくのか推測するのが難しいらしい。

諜報筋(おそらく西側)の情報によれば、ウクライナは作戦の初期の成功に気をよくしている様子で、いっぽう、ロシアはかなりの混乱状態に陥ってしまったという。ロシア軍はエリート将校を使ってかなりきわどい方法(たぶん、未熟な兵士の大量投入など)で、ウクライナ軍の進軍を阻止しようとしている。この諜報筋によれば、「ロシアは非常に愚かな間違いを犯しているが、それは真実より好ましい情報を優先してしまうロシアの腐敗した軍組織のせい」であるという。


「これまでウクライナが行った国境を超える作戦は、(正規軍ではなく)おおむねウクライナ軍情報機関が主導してきたものだった。今回の作戦はウクライナ国内で評判の悪い新司令官オレクサンドル・シルスキー将軍と、より密接に連携してのものと思われ、正規のウクライナ軍が大挙してこの急襲に参加している。これほど大規模な戦力投入であるなら、シルスキー将軍の進退がかかっていても不思議はない。事実、ウクライナの最前線の病院からの報告によれば、死傷者の数が急速に増えているという。他の重要な戦線があるのに、これほど多くの兵力を、(国境を超えるだけのために)投入したのが賢明だったのか、疑問に思う関係者もいる」

もちろん、いまの段階で判断するのは時期尚早だろう。ウクライナ参謀本部筋の人物は、これからの駆け引きをチェスのゲームに譬えている。これからのウクライナ軍の動きはロシアの反応しだいであり、ウクライナ側はすでにいくつかのケースを想定しているようだ。たとえば、ロシアはクルスクに近いハリコフ周辺に戦力を増強しているが、この地域から予備軍を移動させるかもしれない。あるいは血みどろの戦いを続けているドンバスから兵力を割いて回すのかもしれない。


「もっと大きな戦略的な観点が絡んでいる可能性もある。ロシアがヨーロッパに天然ガスをパイプラインで売る場合、まさにスジャのガス・ステーションを経由することになる。しかし、このステーションを抑えることが、ウクライナにどれくらい利益をもたらすのかは明瞭ではない。(というのも、ガスがパイプラインを流れている限り)ウクライナにはガス通過料が支払われ、ロシアには経済制裁のなかでガスプロムの収益は貴重であり、このステーションの運用継続は、ロシアとウクライナの両国にとって重要だからである」

もうひとつ、ウクライナ側が占領を目指しているのではないかとされているのが、国境から60キロのところにあるクルスク原子力発電所だ。ロシア国内の戦争支持のメディアによれば、ウクライナはこのクルスク原子力発電所を抑えて、ロシアによる(ウクライナの)ザポリージャ原子力発電所の占領に、報復しようとしていると示唆している。しかし、この点、ウクライナの参謀筋によれば、クルスク原子力発電所の占領には、国境から80キロの進軍とさらなる兵力増強が必要になるから現実的でないという。


もっと現実的なウクライナの目標としては、ロシアが近隣のハルコフに作り上げようとしていた「緩衝地帯」を、このクルスク地方に作り上げることだとの説もある。これは将来的には交渉のさいの取引材料になるだろう。(つまり、ロシア側の領土要求に対して、この地域との相殺で決着できるかもしれない。)先ほどのインテリジェンス筋は、「ロシアは強固な立場を確立しようとしてきたが、今度の急襲成功によって、自国の領土すら守れないことが暴露され、いまやロシア中枢は窮地に立たされている』と指摘している。

「もちろん、ロシア領内にウクライナ軍が新たな戦線を創り出したところで、それを維持するのはきわめて困難になる。とはいえ、今度の急襲成功はプーチンに白日のもとで大きな屈辱を与えたことは間違いない。そして、昨年以来、明るいニュースを大いに待ち望んでいたウクライナにとっては、今回の成功だけでももう十分といえるだろう」

やや、楽観的な締めくくりとなっているが、勘ぐればこの作戦は長期的にはあまり意義のないものとなってしまう危険があることを示唆している。となれば、もっと勘ぐれば、国内で人気のない最高司令官が、多くの戦略資源を浪費して自分の人気取りをしたということにもなりかねない。とはいえ、何らかの意義があると想定して、やはりもう少し新たな展開を見守るしかないだろう。