普通の判断力をもっていて、さまざまな報道を目にしていれば、いまスウェーデンのコロナ対策がうまくいっているなどという人はいないだろう。ましてや、報道機関に属していて、世界の情報も広く取り入れて判断している記者たちが、いまも今年8月ころの事態を前提にして報道をしたら馬鹿にされるだろう。
しかし、この世というのは不思議なもので、それがまかり通るのである。少なくとも日本の新聞産業では右も左も、頭が8月のままでも記者として通用するらしい。そう思うようになった発端は、産経新聞10月22日付の「ロックダウンもマスクもなし スウェーデンのコロナ対策 国民疲弊回避」を読んだ時だった。事実の解釈について、さまざまな見解があってもいいと思っているが、ただ、その事実の伝え方が奇妙であれば首をかしげる。
「10万人当たりの新規感染者では英国やフランス、スペインが300人を超える一方、スウェーデンは100人未満。国民の自主性を重んじ、最低限のルールで感染拡大を抑えるのに一定程度、成功したといえる。/ただ、スウェーデンより厳しい措置をとるノルウェーやフィンランドといった周辺の北欧諸国と比べると10万人当たりの感染者数は多い。スウェーデンの累積感染者(約10万人)と死者(6000人)は日本を上回っている」
私が奇妙に思ったのは、最後の文である。日本の数値と両国の人口をなぜか記していないのだ。しかも、なぜ、10万人当たりでないのだろうか。スウェーデンの人口は約1000万人、日本は1億2300万人だから、もし日本人が分かりやいようにするには、当然、累積は約123万人、死者は約73000人に相当すると書くべきではないだろうか。
この記事を読んだときは、まあ、菅政権の「GOTO」路線をバックアップするつもりなのかもしれないから、安倍時代にいっそう自民党機関紙化した新聞らしいと思った。また、これは珍しくないことだが、最後にちょろっとスウェーデン内のコロナ禍政策批判にも触れているから、ま、この新聞はこんなものかもしれないとも考えた。
ところが、このときよりもビックリしたのは、朝日新聞夕刊11月10月付の一面「ロックダウンなし■マスクほぼ着用せず 『厳しすぎない』貫くスウェーデン」だった。朝日は政府の「GOTO」に批判的であり、国民の健康と生命を危険にさらす政策にははるかに敏感なはずである。それがスウェーデンならば、許されるとでもいうのだろうか。そもそも、さまざまな規制は日本などより(緊急事態宣言の時期を除けば)むしろ厳しいとの評価もあるのだ。
朝日新聞の記事は見出しだけでみても、「『失業せずに済んだ』市民は歓迎」「感染急増 死者は1日5人程度」とあって、スウェーデンの売り物である福祉国家は健在で、感染は急増しているけれど、1日5人に抑えているというふうに受け止める人は多いだろう。しかし、すでにスウェーデンは移民を多く入れて24%が移民もしくは両親が移民で、失業率は8%台と以前から高く、そして、先ほどの人口を考慮した場合の死者は1日62人相当となる。
いま、日本は3人から16人くらいだから、日本よりもずっと高いといえる。これは模範例ではなく、むしろ警告の材料ではないのだろうか。ちなみに、11月8日のスウェーデンの7日平均死亡者数は14.86人だから、日本に置き換えれば約183人ということになって、移民集落でのクラスターや介護施設での群発的クラスターによって生じた、春の悲劇的な死亡数に比べればはるかに少ないが、ちょっと衝撃的な数字ではないだろうか。(追記:11月13日の7日平均死亡者数は25.29人に達した。これで計算すれば、約311人ということになる)
この記事の見出しには、「成否の判断『まだ早い』」というのもあるが、この種の言い方はまだ感染者が急増していなかった時点に、よく欧米のジャーナリズムで指摘されたものだ。つまり、死者数が5000人(つまり、約62000人相当)を超えたが、それは間違った政策の犠牲者か、それとも長期的には経済活動の維持や集団免疫の効果を考えれば正当化できるか、という議論についての判断留保だったわけである。
しかし、すでに明らかなように、経済活動は他の国と同様に縮小し、若い人たちに感染させたときに生じるとされた集団免疫の効果もほとんどなかった。この2つについては、スウェーデンは輸出依存度が大きいからこの結果は無理ないという弁護論や、スウェーデン政府も国家免疫学者テグネルも、一度も公式に集団免疫が目標だといっていないという反論がある。
しかし、政策を決める場合には、自分たちの国の経済の特性を考えるのは当然である。その予測を欠いていたというのなら政策の失敗といってよい。ましてや、労働力でもある若者たちには緩慢に感染させるという決断だったのだ。しかも、集団免疫が目標だとは公式にいわないにしても、テグネルは何度も自国の非ロックダウン政策は、集団免疫形成に寄与するという意味の発言を繰り返しているのである。そういう発言の矛盾も、スウェーデンだと許されるという理屈は、あるわけがないだろう。
いま、スウェーデンが行っている政策は、政府の発表においては以前の非ロックダウン政策の延長線上にあるにしても、すでに実際にはローカル・ロックダウンというべき状態に移行している。同国の政府の対応に批判的な専門家には、「もうロックダウン状態」と述べていることは、何度か指摘してきたので、それを参考にしてほしい(下の参考記事一覧の「新型コロナの第3波に備える」シリーズのなかのスウェーデンに関するる投稿などをご覧ください)。
もうひとつだけ加えておくと、テグネルはマスクに信頼性がないと言っているが、その理由としては「これまでやってきたソーシャル・ディスタンスの意義がなくなってしまう」ということと、「スウェーデン人にはマスクの習慣がない」という点を挙げている。しかも、マスクについてのいい研究を見たことがないと言っているだけで、とくに、世界でさまざまに繰り返されたマスクの実験を取り上げて、それを科学的に検討して批判しているわけではないのである。
しかし、世界の現実はマスクが防御において高い効果を持つというよりも、自分が無自覚な感染者である場合に、ウイルスを含んだ飛沫を拡散させないですむという「利他的」な効果を期待しているわけで、その有効性はかなり高いとみなされている。ともかく、密集するところではみんなが付けたほうがいいという「ユニバーサルマスク」は、強制か推奨かの違いはあるが、もうかなりの国で採用されている。
産経新聞のときは菅政権への援護射撃かと思ったことは先に述べたが、朝日新聞の文章を読んだときには、朝日夕刊の「変質」といってよい編集上の転換が関係しているのではないかと考えた。同紙の夕刊は以前のように最新ニュースを入れるよりも、文化蘭や話題トピックに力を入れるようになった。しかも、一面にときどき所謂「タイアップ」のような記事が載ることがあって、変われば変わるものだと思ってきた。
つまり、確かにトピック的なのだが、特定の企業や製品を取り上げて、ビジネス誌のような積極的紹介に近い論調で記述するのである。もちろん、それを載せるか載せないかはその新聞の編集方針ということになるのだろうが、これまでの編集方針とは明らかに異なっている。昔のNHKのようにコーラでも「清涼飲料水」と言い換える必要はないとしても、やはり、それが報道なのかPRなのかタイアップなのかは明らかにすべきだろう。
こんなことを言い出したのも、最近のスウェーデンのコロナ対策報道が、妙に論調が肯定的で、しかも時間的に古いデータや比較のための調整をしていない数値を、ちゃんと配慮することなく載せているものが多くなっているように感じているからだ。これまでの経験では、こうした事態はどこかが介在してキャンペーンを行うときに起こりやすいもので、ひょっとしたらスウェーデンのコロナ対策の日本の報道も、その範疇に入ってきたのではないかと疑っている。もしそうだとすれば、日本および日本人がコロナの第3波を切り抜けるため、これから行わねばならない評価と判断にとって、これほど害の大きなものはなく、国民への裏切りといってもよいだろう。
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