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東谷暁による「事件」に対する解釈論

独裁者化するゼレンスキー;危機のなかで加速する権力の占有

ゼレンスキーを批判することはタブーなのか? それは十分に考えられることである。ロシアとの停戦が見え始めたかと思うと、またすぐにその希望はトランプという気まぐれ大統領によって消滅してしまった。ウクライナ国内での批判が許されないのは、戦時体制にある国においては言論の自由が最優先課題ではなくなるからとして理解できる。しかし、彼が自由と民主主義の守護者として位置づけられることで、西側世界でもタブーとまではいかないまでも、批判するのはモラル上の裏切りであるかのようにされてきた経緯もある。


ウクライナの最大の脆弱性は、実は軍事的ではなく政治的な側面にあるのではないか。戦争勃発以来、多くのリベラル派や穏健派のウクライナ国民はジレンマに直面してきた。政府の無能さ、腐敗、あるいは失政に焦点をあてることは、国際社会からの支持を損なうリスクがある。しかし、沈黙を続けることは、ゼレンスキー大統領の権力独占の拡大を容認することを意味し、それは時に国家の有効性、ひいては戦争遂行そのものを損なわせてきた」(ジ・エコノミスト4月19日付「ウクライナでは権力は独占されている」)

トランプ米大統領が子分のバンスとともに、ゼレンスキーを呼びつけて大統領執務室で、メディアを呼んだうえで彼を侮辱し脅しつけた後で、ゼレンスキーの欠点をあげつらうのはモラルに反するかもしれない。さらには、ロシアが停戦への意志をなくしたとみるや、トランプがアメリカは関与をやめると言い出したいまの時点で、ゼレンスキーが生み出している問題を取り上げるのはウクライナ国民への無礼であり、自由と民主主義への裏切りであると感じる人がいるかもしれない。しかし、ゼレンスキーという存在は、はたしてウクライナ国民にとってよき指導者であり、西側諸国に対してもよき同盟者なのだろうか。


「トランプがゼレンスキーを『独裁者』と攻撃する前でも、彼を批判するのは困難がともなっていた。しかし、いまやトランプの言動のために、批判することはほぼ不可能にすらなっている。ウクライナ国民は大統領のもとに結集し、大統領選挙の実施を検討しているようである。『ゼレンスキーが競争相手はいないと感じているなら、それは選挙が近づいていることを意味している』と、ある政府関係者は皮肉を込めてコメントしたが、選挙の可能性を前提として、この国は統制を強化していることは間違いない」

たとえば、この2月、最大野党を率いるペトロ・ポロシェンコ(前大統領)は、具体的な理由を含まない「国家安全保障への脅威」という理由で制裁をうけた。資産は凍結され、批判者たちに言わせれば「法律の乱用」としか言えない訴訟で「反逆罪」の容疑をかけられている。そのためにポロシェンコは事実上いかなる選挙にも出られなくなっており、「ポロシェンコですら裁判所の判断なしに選挙から排除されるのであれば、誰にでも同じ運命が待ち構えている」と言われている。


また、市民運動家たちも各種の嫌がらせを受けている。たとえば、汚職反対運動家であるヴィタリー・シャブーニンなどは活動を停止させられ、これまでの活動を罰するため前線近くに送り込まれて、そこでの一挙一動が当局に報告されているという。シャブーニンは、こうしたやり方はまさにロシアのウラジミール・プーチン政権の初期のやりかたを彷彿させると批判している。

さらに、戦時の効率化の名のもとに、権力は政府や議会ではなく、大統領府のなかにいる「選挙を経ていない少数の人間たち」に集中するようになった。そうした人物たちの中には、主席補佐官のアンドリー・イェルマーク、大統領スピーチライターのドミトロ・リトヴィン、治安機関を仕切るオレダ・タタロフなどがいる。つまりは、本当に外交を知る外交官、軍事を知る軍人、経済に通暁した経済人はすべて排除されてしまっているわけである。政府の中枢が大統領との個人的な関係の人間たちに仕切られている点では、まさにトランプ政権と瓜二つといってよい。


そして、メディアの統制である。エコノミスト誌は、ウクライナには西側諸国での意味でのジャーナリズムはそもそも存在していなかった、という肝心なことを書いていないが、かろうじて存在していた独立系オンライン新聞すらも消滅の危機にある。たとえばウクラインスカヤ・プラウダの編集長セヴジル・ムサエワは「大統領府がジャーナリズムの取材に便宜をはかるどころか、アクセス制限や広告主への介入的攻撃、ジャーナリストたちとの接触を裏切り行為だとする圧力などがあり、これは直接的な検閲ではないが、抵抗しなければ自由な空間は消えてしまうだろう」と警告している。

ウクライナがより権威主義的統治へ向かっていることは、戦争が4年目に入っていることからすれば、驚くべきことではないかもしれない。しかし、それがこの国の自律的な回復力を損なってしまう危険性は十分にある。野党議員のオレクシー・ホンチャレンコは次のように憂慮している。『わたしたちは、小さな民主主義国家がより大きな独裁国家に抵抗することで、自らをヤマアラシに変えてしまうことを実証した。しかし、小さな独裁国家はより大きな独裁国家に飲まれてしまう危険があるのだ』」

ゼレンスキーが悪辣なロシアのプーチンに立ちはだかって抗戦し始めたとき、西側メディアは彼を自由と民主主義のアイドルとして記述した。しかし、彼が大統領選挙に立候補したさいに話していた言語は主にロシア語であり、そもそも本格的にショーマンとしてデビューしたのはロシアのテレビだった。すでに侵攻以前にウクライナ東部の国境付近ではロシアの脅威があったが、ゼレンスキーは前大統領ポロシェンコを押し上げたマイダン革命とはかなり違った位置にいた。彼は「ロシアのプーチンと心を割って話せば、進行中の国境紛争など解決する」と混乱に怯えている国民にアピールしていたのだ。マイダン革命以降、すでにロシア系住民の国外脱出が顕著になっていた。


大統領選挙時に国境紛争は激化しており、ゼレンスキーは西側の影響が大きいリビウ周辺以外の地域で圧倒的な票を獲得して当選したが、独仏の介在でプーチンと会談に漕ぎつけたものの、プーチンにまったく相手にされなかった。ほとんどバカにされたらしい。その後、国内でもあまりの乱脈政治ぶりに支持率は20%台にまで落ちた。プーチンはゼレンスキーが大統領になったとき、側近に「大統領を演じるのと、実際にやるのとはまったく別のものだ」と語っている。ゼレンスキーが役者としてテレビドラマで大統領を演じたことを揶揄したわけである。そして準備はしていたものと思われるが、ゼレンスキーの支持率が下落していった時点で、侵攻すればゼレンスキーは逃亡すると判断した可能性がある。

しかし、ウクライナ内で独自の権力構造をもっていたウクライナ軍は、それまで買い貯めていたアメリカ製の携帯型ミサイルでロシア戦車を撃退し、キーウ占領を阻止してしまう。自分たちの「ウクライナで最大の社会勢力」という特権的地位を考えれば、ロシア軍には絶対に従属化したくなかったのだ。これはプーチンの誤算であると同時に、ゼレンスキーにとっても誤算だった可能性がある。この時点で、ゼレンスキーは亡命をすることはできなくなり、それまでまったく折り合わなかったウクライナ国軍と関係を修復するが、そもそも自分の「流麗な」ロシア語でプーチンを説得できると思い込んだことが間違いだった。