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東谷暁による「事件」に対する解釈論

停戦に「栄光」は必要なのだろうか?;ウクライナ戦争の終わり方が議論になっている

ウクライナ戦争をどのように停戦にもっていくのか。いま問題になっているのは、冬が終わってからウクライナが再び開始する「反転攻勢」ではなくなっている。イスラエルハマス戦争によって一度話題の中心から外れたウクライナだったが、その結果が、この戦争をいくら支援しても勝利はもたらされず、それならば停戦したほうがよいという西側諸国の雰囲気なのだ。その場合、ウクライナをどう説得するかが最大のテーマなのである。


英経済紙フィナンシャルタイムズの安全保障担当コラムニスト、ギデオン・ラックマンが同紙12月18日付に寄稿している「ウクライナと支援国には栄光への確かな道が必要だ」は、結論から紹介すると、ウクライナに「栄光」を与えることで、停戦に持ち込むことがいまの課題だというものだ。実は、ラックマンは以前にも朝鮮戦争の例をあげながら、平和条約ではなく停戦に持ち込む案を述べていた。

ところが、現実には停戦は難しいとして取り下げた経緯があるのだが、にもかかわらず、再び朝鮮戦争の停戦に類する、戦争の一時的な停止で戦闘をやめさせ、ウクライナが経済的な復興を行えるようにすべきだというのである。もちろん、この間にはウクライナの春から夏にかけての反転攻勢が行われ、それが膠着状態に陥ったために、これからの目標が明確でなくなったという事情があった。


ラックマンは強調しているのだが、いま停戦になってもウクライナには「栄光」は残るという。というのは、初めての独立戦争を行ったようなもので、そのことで国民意識が確立され、また、世界に多くの支援国が生まれた。これこそがウクライナがこの戦争で得た「栄光」なのだというわけである。それに比べてロシアは膨大な数の兵士の死にもかかわらず、世界中に嫌われて、かつての友好国も失うという「敗北」を喫しているではないかという。

膠着状態を前にして反転攻勢は「失敗」だったというのが妥当だと思うのだが、それが「栄光」だといわざるを得ないことがどうにも苦しい。そもそも、ロシアは多くの兵士と友好国を失ったことは本当でも、いまだにプーチンウクライナを併合する意志を失くしていないし、また、ロシア国民も「戦争はいやだ」が「戦争に負けるのはもっといやだ」というメンタリティでいて、大きな戦争反対運動が起こっているわけではない。


では、ウクライナ戦争の「現実」とは何か。それを的確に言い表すことは難しいが、最もリアルな目で見た例があるのでそれを紹介しておこう。少し前に亡くなったヘンリー・キッシンジャーは、ウクライナ戦争に対しても何度かコメントしており、最初は他のリアリストと近い、ウクライナの緩衝国家化だった。しかし、戦争が続くことでヨーロッパの中の緩衝国家や中立国がEUに加盟するという事態が生じたことをうけて、この4月に英経済誌ジ・エコノミストのロング・インタビューに応じ、さらに踏み込んだ提案をしていた。

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この中でキッシンジャーは、ロシア侵攻前に戻ることで、「ウクライナも不満、ウクライナも不満」の「不満の均衡」を作り出すことがことがよいと考えていたが、ここまできてしまったからには、もう「不満の均衡」だけでは秩序は保てなくなった。なによりもウクライナナショナリズムを確立して、しかも、ヨーロッパ最強の軍事国家となってしまった。そこで停戦に持ち込むと同時にウクライナNATOに入れて、「自国では判断することが不可能な状態」を作らねばならないといったのである。


これまでウクライナを民主主義的な小国と考えてきた人たちは驚いただろうが、実は、ウクライナ出身の社会学者などは、自国の軍隊が国内最大の政治組織だと認めていた。もちろん、ウクライナ軍がロシア軍などと戦争をすれば、西側の援助なしでは撃破されてしまうわけだが、自国内での政治力はやはり大きかった。この軍隊が西側の軍事援助で対外的にも協力なパワーをもってしまった。キッシンジャーはことさらに言及していないのだが、これまでの経験からして、戦争をした国家がどのような変貌を見せるかを十分に知っていたのだ。

「わたしたちはいま、第一次世界大戦前の古典的な状況にあるのだ。したがって、どちらの勢力にも政治的に譲歩できる余裕があまりない。もし、少しでも均衡が崩れると、悲劇的な結果を迎える危険がある」

これを元アメリ国務長官で最も現実主義的な戦略家が言ったと取らずに、ただの100歳の爺さんがつぶやいた「世迷い事」だと受け取ることもできるだろう。しかし、いまになって、ウクライナに耳朶に心地よい「栄光」を与えるために頭をひねっているコラムニストと比べれば、やはり鍛え方が違っていたというべきではないだろうか。