先日、MMT(現代貨幣理論)のマドンナであるステファニー・ケルトン教授が来日して講演と記者会見に臨んだ。講演や会見では、その時間のほとんどが、これまでのMMTの主張に終始しており、ネットを含む新聞や雑誌の報道も、こうした大筋の話に集中していたのは、予想はしていたものの残念なことだった。
ただし、講演後の記者会見では3つほど鋭い質問が出ている。ひとつは、これは英語での質問だったが、基軸通貨(キー・カレンシー)をもたない国家でも、MMTは効果を発揮するのかという質問。ふたつ目が、推奨する財政拡大の影響としてインフレに注目するのは分かるが、同時にバブルの発生と崩壊にも注意すべきではないかとの質問。みっつ目がランチの席でケルトンが語った、日本のデフレ基調に対しては金利上げが有効との説の実現性についての質問だった。
最初の2つは、実はアメリカではかなり多くのエコノミストがすでに指摘していることで、第1の、基軸通貨を持つ国どころか、途上国でもMMTが適用できるというMMT派の主張に対しては、IPE(国際政治経済)派の論者たちが激しく批判してきた。
ドルならばまだしも、ソブリン・ステイト(主権国家)が発行するソブリン・マネーでも、他の政治・経済条件が整わなければ、MMTが主張するような自国通貨の発行拡大は不可能ではないかというわけである。この種の批判の急先鋒であるジェラルド・エプスタインが、この分野について、MMT派には十分な実証的研究がなされていないと批判し、大きな論点となってきた。エプスタインは近く批判の書を発刊するらしい。
第2の、インフレだけが怖いのではなく、バブルへの警戒も必要なのではないかというのは、財政拡大で低金利が継続することを考えれば、当然でてきてよい質問である。1980年代末の日本のバブルや、近年におけるアメリカの2度のバブルは、せいぜい3%前後のインフレのもとで生じた。これはMMTが唱える税金による経済コントロールが、うまくいくのかという問題とかかわっているので、「コモドンの空飛ぶ書斎」に連載中の「MMTの懐疑的入門」でも準備していた(近日中に投稿する予定である)。
また、この第2の質問とかかわって来るが、MMTが主張してきたように、バブルの前には財政黒字があって、それがホリゾンタルな市場の資金不足を加速してバブルを生みだすという観察が、はたして日本のバブルの場合に成立するのか、これについてわたくしはきわめて懐疑的である。つまり、MMT理論家は詳しく検証していないのである。
第3の、財政赤字が拡大したなかで金利を低くおさえるのは、経済を冷え込ませる面があり、むしろ、金利を上げる政策のほうがデフレ脱却につながるのではないかという説は、かつてより直感的には論じられてきた。日本では80年代、「このまま国債発行が拡大すると、将来的には金利が低くなり、その結果として日本は長期停滞に陥る」と予言したエコノミストもいた。因果関係の転倒の疑いもあるが、いずれ論じたいテーマある。
さて、ケルトン教授(上の写真はチャンネル桜の画面から)にもどるが、いかにもアメリカのリベラル左派の女性らしく、堂々と自ら信じることを論じたという感じはあった。ただ、ものたりなかったのは、日本経済についての分析が、やはり手薄だということである。何か事例を述べて理論を展開してみせるというのは、これまで刊行されたMMTの入門論文集や教科書以上のものはなかった。ただし、「日本はMMTをすでに採用している」と言った覚えはないというのは正しく、そういったのは日本のMMT派の論者である。
どうも、日本のMMT受容者あるいはシンパというのは、自分たちの主張、政策、願望に役立ちそうなところだけをとって、あとはご都合主義的に論じているという傾向が見られる。しかし、たとえば新古典派は自助努力を言っている部分がよく、ニュー・ケインジアンはヒューマニズムの部分がいいから、そのいいとこどりをしようという論者は、そもそも信用できないだろう。
ところが、この種のことが行なわれているのである。典型的なのが安倍政権の内閣参与である浜田宏一氏で、そのことはすでにこのブログで触れたが、今回のMMT騒動でもあきれた言動を繰り返している。どうやら、インフレを起こさないならMMTも有効で、さらに、財政拡大悲観論者への「毒抜き」になるというのである。
このブログでも、また、先に述べた「MMTの懐疑的入門」でも強調したように、MMTの「肝」というべき政策は「完全雇用」であって、そのことによって経済を「安定化」するというのは、ケルトンの先生であるL・R・レイたちも繰り返し述べていることだ。ところが、浜田先生によると、それはこんな話に化けてしまうのである。
「ただ、MMT支持者の中には、勤労意欲のある人には政府が誰にでも働き先を保証するという『雇用保証プログラム』のような大胆な政策を言う人もいます。すべての人が職につけるのはすばらしいのですが、経済性や生産性を考えた時にそれは持続的な政策なのかどうかはわかりません」
おやおや、この「雇用保証プログラム」つまりJG(ジョブ・ギャランティ)は、MMTの大御所であるレイはもちろん、ケルトンも中心的な目的であることは公言し、また、それゆえにMMTが登場・発展してきたのである。浜田先生、助言をしてくれるアドバイザーがさぼったか、あるいはまったく読んでいないのか、肝心の部分を周辺的な話題であるかのようにしゃべってしまっているのは酷い。しかし、他の日本MMT派も似たようなもので、匿名だが「MMTそのものを採用するというわけではない」などと発言している。これでは、MMTに何を求めているか透けてみえてしまっているではないか。
今回はケルトンを褒めているような話になったが、もちろん、ケルトンの「政治家」である側面を思い出せば、まさにこの完全雇用問題にかかわる部分で、平気で法螺をふく度胸をお持ちであることは言っておかねばならない。ケルトンはまず完全雇用を主張しているだけでなく、オッカシオコルテス議員の「グリーン・ニューディール」に賛同して、そのための予算も賛成。さらに、もちろん経済顧問を務めるバニー・サンダースが主張する国民皆保険にも賛成して、当然、予算を計上することに積極的である。
しかし、これをすべて本気でやるとするなら、アメリカはあっというまにインフレに突入することになる。なぜなら、完全雇用が成立したうえでさらに財政出動を繰り返せば、ケインズの言い方を使うと、「さらなる有効需要の増加が完全に比例して費用単位を増加させるとき、真正のインフレと呼ぶべき状態になる」からである。政治的な局面では、こんな言いたい放題もやっているケルトン教授が、日本ではひかえめで、日本の主催者側が喜ぶような発言にとどめているのは、目出度いことだった。
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