HatsugenToday

東谷暁による「事件」に対する解釈論

人は「いつまでも」働けるのか:貧相な働き方改革


安倍晋三政権は高齢化社会への対応として、また労働力の逼迫への対策として、国民が70歳まで働ける仕組みをつくるといっている。そしてそれは、国民が望んでもいるからだというのである。

しかし、国民の多くが高齢になってからも、本当に働きたいと思っているのだろうか。政府は内閣府の『高齢社会白書』に掲載しているデータを根拠としているようである。その調査によれば「あなたは、何歳頃まで収入を伴う仕事をしたいですか」という質問に対して、42%の人が「働けるうちはいつまでも」と答えたということになっている。

これが、フリートークでもして出てきた答えの割合なら、政府がいうことも分からないではない。日本人って本当に仕事が好きなんだなあ、と感心したくなる。しかし、このデータをちゃんと検証してみれば、事情はすこしばかり(これはあくまでレトリックの「すこし」である)違うようである。

この調査の質問にたいして、選択肢が最初から設定されていて、「65歳くらいまで」「70歳くらいまで」「75歳くらいまで」「80歳くらいまで」「働けるうちはいつまでも」「仕事をしたいとは思わない」「わからない」などがあって、このなかから1つを選ぶことになっているのだ。

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何歳まで働きたいかと、働ける限りはというデータは質が違う


すぐ分かるように、具体的に何歳までという答えと、働けるうちはいつまでもという選択肢はまったく異質なものだ。であるにもかかわらず、内閣府は「70歳」「75歳」「80歳」と「いつまでも」をいっしょくたにして「79.7%」の人たちが、心から働き続けたいと思っていると断じて、自分たちの政策の根拠としてしまっているのである。

日本は急速に高齢化しているという現実から、労働力を確保するには、高齢者にもっと働いてもらわなくてはならないという政策が出てくることは理解できる。しかし、それが本当に可能なのかを検討する以前に、日本人は約8割が70歳以上になっても働きたいと思っているという、すこしばかりバイアスのかかったデータをつくりあげてしまうのは、いつもながらの「印象操作」というしかない。

読者のなかには「何いっているんだ、高齢社会化しているんだから、高齢者も働くのは当然じゃないか」という人がいるかもしれない。あるいは、「日本人というのは働き者だから、歳をとっても働きたがるのだからいいではないか」と日本人の「美質」を強調したがる者もいるかもしれない。

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世界の国々の高齢化比較

しかし、高齢化社会になったから高齢者も働くというのは、ある程度までは言えることだが、世界の先進社会を見れば、この2つは必ずしも相関関係は高くないから、「法則」というものではない。アメリカとイタリアのケースなど、むしろマイナスの相関関係といってよいほどだ。また、日本人はすこし前まで55歳あるいは60歳で定年に達して、それ以降は「悠々自適」で暮らすことをひとつの理想としていた(それが現実に不可能な人が多かったが、憧れてはいた)のである。

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上のグラフと比べれば、高齢化と労働高齢化は相関関係がないことがわかる


個人的なケースを付け加えておこう。わたしはすでに65歳を超えているから、立派に前期高齢者であるが、では「働けるうちはいつまでも」働きたいと思っているかといえば、とんでもない! もうすでに肉体的にあっちこっちガタが来ているし、そもそも頭が(どんなに強がってみても)前のようには動かない。これはモノを書いて暮らしている人間にとっては、きわめて大きな問題なのである。

わたしの周辺でも、勤め人の場合、かなりの人が65歳を超えても働いている。その人の長年の努力によって(あるいは運がよくて)、高齢でもできる「判断」を行う役職についている人もいるが、あいかわらず体を動かして、顧客に頭を下げながら仕事をとってくるような仕事を続ける場合も多い。

後者の場合には、しばしば以前の役職をはずされ、権限もなしに以前の部下の部下になっているケースは多い。こうした場合には「働けるうちはいつまでも」という言葉には積極的な意味よりも「働かないとローンが返せないから」とか「働かないと暮らせないから」という意味合いが強くなる。

わたしだって、同じ様なものだ。仕事がくればやりたいと思うが、それが若いころに書いた(そして、よく売れた)ものと同じようなものを、また書いてくれなどと言われても、やれるものではない。それは体力がもたないということもあるし、そもそも、高齢になれば、取り組みたいテーマも変わってくるのが当然だろう。

ところが、相手が統計的な観点のみからみて(つまり、マーケティング的にみて)儲かりそうな話をもちかけようとするわけだから、「やれやれ、ジジイを前に何いってんだ」と思うこともあれば、「ちぇっ、この編集者、年齢ということが分かってないなあ」と呆れるわけである。

政府が本気で70歳まで働かせたいと思うのなら、おおざっぱなデータで印象操作するのはやめて、70歳まで高齢者が積極的にとりくめる環境を考えねばならないはずである。そういうと、すぐに「再教育ですか」という答えがかえってきそうだが、そうではない。高齢になってから再教育なんか受けたくないし、また、再教育してもそれほどの効果は上がらない。

つまりは、それまでの経験を使えて、しかも、プライドが保てるような形での仕事ということになるが、それがきわめてむずかしいことは当然である。しかし、それができないというのならば、最初からデータの操作で「国民は高齢でも働きたいと考えている」などというご都合主義的な認識を押し付ける政策はやめるべきだろう。

(グラフは上から『平成29年版高齢社会白書』、総務相統計局「統計トピックスNo.113」、同。コモドンの空飛ぶ書斎に投稿した「いつまで続く『労働力発掘』政策」もお読みください)